いつも飄々とした姿で現れては難事件を解決する名探偵、金田一耕助。
雀の巣の如きもじゃもじゃ頭に被っているのは、くちゃくちゃと形の崩れたお釜帽です。お釜帽とは文字通りお釜を逆さまにしたような、天辺が丸くなっている山高帽のこと。柔らかいフェルトのソフト帽、中折れ帽とは違い、硬いフェルトでできているので本来は形が崩れないものです。それを使い込んで使い込んで、つばの部分も広がって、ふにゃふにゃでてろてろになった感じなのでしょう。決してチューリップハットではないですよ。ときに困ったように、ときにびっくりしたように眠たそうな目をしょぼしょぼさせています。ところが、そんな瞬間にも明晰な頭脳はフル回転。探偵の瞳の中に一種のかぎろいが揺曳したとき、その奥に事件の真相が宿っているのです。
( )内は最初の掲載年または刊行年です。
●蜃気楼島の情熱(1954年)
角川書店版「びっくり箱殺人事件」、「人面瘡」に収録の短編。
金田一耕助がアメリカ放浪時代に知り合い、彼のパトロンのひとりとなった久保銀造。カリフォルニアでの経験を活かして、岡山で果樹園を中心に事業を展開しています。いま、金田一は年に一度の静養として銀造のもとに滞在中。ふたりは、瀬戸内海に面した宿屋に来ました。銀造の友人で、そこから見える「沖の小島」を所有する、志賀恭三を訪ねる予定です。志賀は長く暮らしたアメリカで財を成して帰国してから、買い取った小島に龍宮城の如き大邸宅「蜃気楼」を築き上げました。島は周囲1里(約1,570m)足らず。完全な島というわけではなく、一部が狭い桟道のようなもので本土とつながっていますが、通常は専用の船で往来しています。特異な外観が新聞や雑誌にも取り上げられて評判となった屋敷は、銀蔵が言うところの「アメリカ人の見た東洋趣味の圧縮」です。志賀は、唯一の親戚であるまたいとこ[1]親同士がいとこで医師の村松のもとで働く若い看護婦(師)、静子を見初めて2年前に結婚しました。そして近頃、静子が妊娠したことを知り、とても喜んでいるそうです。彼には在米時にアメリカ人の妻を殺された過去があり、それだけに静子と生まれてくるであろう子供への愛情は深いのでしょう。金田一と銀蔵の宿屋に立ち寄った志賀は、村松医師の次男、滋の通夜へ行くと言います。夜半に泥酔した志賀と合流したふたりは、村松の長男の徹が操舵する自家用ランチで沖の島へ。ここでのランチとはlunchではなくlaunch。大型のモーターボートのこと。本来の発音はカタカナにするとローンチです。名詞としては、他にロケットやミサイルの発射とか、事業や活動の開始、着手などの意味が。航空業界ではローンチ・カスタマーという言葉があります。航空機メーカーに、新型機の計画や製造を開始決定させるだけの大型発注をする航空会社のことです。
「蜃気楼」に着いたのが夜更けで、しかも折り悪く嵐となったため、ふたりはそのまま休むことに。しかし明け方、ただならぬ気配に目を覚ましました。静子が何者かに扼殺されたのです。徹は、通夜の席で村松医師が滋と静子の恋愛関係が最近まで続いていたことを暴露したと言い、それを知った志賀が犯行に及んだのではと疑っています。金田一と銀蔵は村松家へ。村松医師と妻の安子、長女の田鶴子、そして徹とのやり取りで人間関係が透けて見えてくるようです。岡山県警からやって来た仲良しの磯川警部とともに調査を始める名探偵。壊れて泥だらけになった自転車、布団の下に残されたままの寝間着、なぜか死体のそばに置かれた義眼、ランチの腰掛の下の箱、田鶴子の腕の怪我などといった要素から推理を構築していくのでした。
●毒の矢(1956年)
短編として雑誌掲載後、すぐに改稿し中編として発表した作品。短編版は「金田一耕助の帰還」(光文社・出版芸術社刊)に収録。
世田谷区緑ヶ丘の住宅街で繰り広げられる物語で、これに続く「黒い翼[2]角川書店版「毒の矢」に合わせて収録」(1956年)とともに金田一耕助が緑ヶ丘へ引っ越すきっかけとなった事件です。金田一はこの頃、まだ旧友の風間俊六の世話で、大森の割烹旅館「松月」の離れに住んでいたはず。
かねてより懇意にしている有名ピアニストの三芳欣造邸を訪ねた金田一耕助は、同じ緑ヶ丘町内に住む三芳新造なる人物あての郵便がよく誤配されるときき、誤って開封してしまったそのうちの一通の怪しい密告文を見せられました。緑ヶ丘ではこのところ、「黄金の矢」を名乗る何者かが差し出した怪文書が横行しているそうです。新聞や雑誌から切り抜いた文字を張り合わせた便箋が、定規で一画ずつ線を引いたような字で宛先の書かれた封筒に入れられて届くのだとか。いずれもその家の住人の秘密を記して忠告する内容で、繰り返し郵送されてくるといいます。その中には、暴露されたくなければ神社のケヤキの根元に現金を埋めるよう指示のある脅迫状も。警察が動いているものの、犯人の見当はついていません。三芳欣造は亡くなった妻の弟子だった恭子と結婚し、先妻との間にできたひとり娘の和子とともに暮らしています。新造のほうはというと、職業は画家らしく、妻の悦子とふたり暮らし。庭いじりが趣味のようで、よくバケツとシャベルを提げて歩いているそうです。新造宅の隣が、30年のアメリカ生活から帰国した的場奈津子の屋敷。脚が不自由な16歳の娘ボンちゃんこと星子と、その家庭教師の三津木節子が一緒に住んでいます。奈津子は和弓が趣味なのだとか。金田一が見せられた新造あての密告文というのは、悦子と奈津子の同性愛を告発する文章でした。
1週間後に金田一が欣造邸を再訪すると、その夜は恭子と和子が、「皆さんをびっくりさせる」と言う的場奈津子の家に招待されているとのこと。するとそこに、奈津子が殺されたという電話が。ふたりはすぐさま的場家へ向かいます。豪華な広間にいたのは、ボンちゃん、節子、恭子、和子に三芳新造、恭子の前夫で奈津子と一緒に弓の稽古をしている佐伯達人、ボンちゃんの主治医の沢村、それにアメリカ時代の奈津子を知る八木信介牧師。現場は母屋と長い廊下で繋がった離れの居間です。うつぶせに倒れた奈津子の裸の背中には、本物そっくりに刺青されたトランプの絵柄が十数枚も。そのうちのハートのクインのカードに深々と刺さった矢が付き立っています。警察が事情聴取したところ、奈津子が「びっくりさせる支度をする」と言って広間を出ていったあとで停電が発生したそうです。沢村医師らがヒューズを修理して停電は解消されますが、奈津子がなかなか戻りません。心配したボンちゃんとともに、車いすを押した新造が離れへ捜しに行って、死体を発見しました。住み込みの爺やは、停電のあとで怪しい男のような姿を見たのだとか。死体を調べてみると、エーテルで昏睡させられたところを扼殺され、さらに矢を刺されたようです。刺青のトランプは全部で13枚。でもボンちゃんが発見した時に数えたら15枚あったと言います。ここになにかのトリックが隠されているような。「黄金の矢」の正体は誰なのか?密告状と殺人にはどんなつながりがあるのか?奈津子の「びっくりさせる」とは何を意味していたのか?名探偵が絡み合った糸を次第にほぐしていきます。
●悪魔の降誕祭(1958年)
月刊誌に掲載された短編を、同じ年に長編として改稿した作品。
降誕祭、つまりイエスの降誕を祝うクリスマスに起こる事件であり、また、この世に生まれ出た悪魔のような犯人による連続殺人のお話です。昭和32年(1957年)12月20日、金田一耕助が等々力警部の事件を片付けるために自宅を出ようしたところ、小山順子と名乗る女性から電話が入りました。なんでも、これから起こる殺人に関する相談があるそうです。金田一は、このフラットへ来て自分が戻るまで待つように伝えます。しかし彼が帰宅すると、洗面所にうつ伏せで倒れている女が。訪ねてきた順子が毒殺されたようです。携行していた鎮静薬の錠剤に青酸カリが仕込まれていました。しかもこの部屋には他にもうひとり別の人物がいたと思われます。調べると彼女は人気のジャズシンガー関口たまきのマネージャー、志賀葉子だとわかりました。誰かの身に起こり得る殺人を予見し、探偵を頼って来たところで殺されてしまったのでしょうか。そのハンドバッグからは、金田一耕助に宛てた封筒が見つかります。中にあったのは1枚の新聞の切り抜き。たまきが羽田空港でPAA機のタラップを降りてくるところが写った写真と、裏には犬の奇病の記事があります。何かの手掛かりに違いないのですが、見当がつきません。PAAはパンナム(パナム)の愛称で呼ばれていたPan American World Airways(Pan American Airways)パン・アメリカン航空[3]1991年運航停止のこと。かつては日本を含めて世界各地へ就航し、アメリカを代表する航空会社とも言える存在でした。1978年には、ジュール・ヴェルヌの小説のタイトルをもじって”Round-The-World in 80 days or less”「80日間世界一周」という周遊航空券を999ドル(当時のレートで約195,000円)で販売開始。日本では買うことができなかったと記憶していますが、時刻表を手に入れて、どうやったら効率よく世界を回れるのかを考えたものです。社会人になって出張でパンナムに乗る機会ができたものの、その時はすでに日本線からは撤退した後。乗ったのはアメリカ国内や欧米間路線のみでした。また、日本就航時代にパンナムの極東地区広報支配人だったデイヴィッド・ジョーンズが創設したのが大相撲の「パン・アメリカン航空賞」です。毎場所ジョーンズ本人が、幕内最高優勝を果たした関取に対して、表彰状を「ひょう、しょう、じょう」と読み上げて渡すことが千秋楽の定番でもありました。
このお話のはじめの方では、金田一耕助の住むフラットの様子が描かれています。そこは世田谷区緑ヶ丘町にある緑ヶ丘荘という高級アパート。ほかの作品の記述からこの年の4月ごろに引っ越してきたと思われます。15世帯が暮らす建物の2階、階段を上ってすぐのところにある3号室が探偵事務所兼住居。部屋は建物の正面側に窓があり、門の前に停まる車やを出入りする人を見ることが可能です。1階入り口には受付があって、住み込みの管理人、山崎夫妻が住人の面倒をみてくれています。
そしてクリスマスの晩。パーティの行われていた関口たまきの邸宅で、たまきの夫の服部徹也が殺害されました。偽の手紙で居間に呼び出されたたまきとピアニストの道明寺修二が、脱衣所へ続く小廊下へのドアを開けると徹也が転げ込んできたのだとか。その背中にはナイフが刺さったままです。関係者から綿密な事情聴取をするものの、なかなか犯人の特定に至りません。ところが新年になり、探偵と警部が招かれざる客として訪れた宴の席で、金田一の手品師の如き早業によって一気の解決を迎えるのでした。
●魔女の暦(1958年)
1956年に雑誌掲載の短編を改稿。短編版は「金田一耕助の帰還」(光文社・出版芸術社刊)に収録。
事件の舞台は浅草六区のインチキ・レビュー、紅薔薇座。19世紀後半のパリで始まった大衆向けの娯楽がキャバレーです。最初は飲食が中心でしたが、モンマルトルの”Le Chat Noir”「黒猫」が詩の朗読や寸劇や歌を提供することで話題になり、世紀末のベルエポック時代になるとモンパルナスやカルチェラタンなどにも多くのキャバレーが林立して、ダンスや歌、それに演劇やマジックなどといった様々な出し物を競いました。その後はストリップやフレンチカンカンなどのエロティックな要素を取り入れたり、サーカスや大仕掛けの舞台演出も取り入れられてナイトライフの一角を占めるようになります。これがレビューrevue(レヴュ)です。現在もパリでは一括りにレビューとは言えないものの、その流れを汲む”Le Moulin Rouge”「ムーラン・ルージュ」、”Le Lido”「リド」、”le Paradis Latin”「パラディ・ラタン」あるいは”Le Crazy Horse”「クレージー・ホース」をはじめとした数々の有名店が人気を博しています。
紅薔薇座はインチキと揶揄されるぐらいなので、「…退廃的なお色気をふんだんに発揮して、下等な客を呼ぼう…」という低俗な部類のレビューもどきのようです。この劇場の新作は「メジューサの首」。メデューサ(メジューサ)Medusaとは言わずと知れたギリシャ神話に登場する怪物のこと。ステノーStheno、エウリャレーEuryaleとの3姉妹はゴルゴンGorgonsと呼ばれ、髪の毛が蛇で、その姿を見た者は石になってしまう恐ろしい力があるとされました。メデューサだけは他の姉妹と違って不死ではなかったため、英雄ペルセウスに倒され、首を切り取られてしまいます。その首を使って海の怪物を石にして、アンドロメダ王女を救出した神話は有名ですね。紅薔薇座の演目は、この神話をベースにしながらダンスやストリップを盛り込んだもののよう。メデューサ役は劇場の大スター、結城朋子。そして3人でひとつの眼しかない魔女たちを演じるのが、飛鳥京子、霧島ハルミに紀藤美沙緒です。彼女たちにはそれぞれ一座の中に愛人や内縁の夫がいます。でも3人とも、笛を吹く小悪魔役の碧川(みどりかわ)克彦との関係があるようです。
金田一耕助は、「魔女の暦」なる差出人からの活字を貼り合わせた手紙を受け取りました。紅薔薇座での事件を予告する内容です。金田一が「メジューサの首」の舞台に初日から続けて通って3日目。見せ場となる3人の魔女のダンスの場面で、突然、飛鳥京子が左胸を押さえて苦しみ始めると、そのまま倒れて死んでしまいます。彼女の胸に刺さっていたのは猛毒を塗った吹矢でした。金田一は舞台上で吹矢の筒を発見します。そして、駆け付けた等々力警部と浅草署の関森警部補らと関係者の綿密な聞き取りを介しました。でも、いったい誰の仕業なのかがさっぱりわかりません。
すると今度は、朝凪橋の橋脚に流れ着いたボートの中で、鉄の鎖に縛られた霧島ハルミの死体が発見されます。朝凪橋というのは、江東区の豊洲と枝川を結んで豊洲運河[4]隅田川と佃で分かれた晴海運河がさらに豊洲で分岐に架かる大きな橋です。再び関係者を呼び出してのアリバイ調べとなりますが、いやはや皆さん旺盛な男女関係なのには驚きます。はっきりとした手掛かりが得られないまま、「魔女の暦」による3人目の犠牲者が。繰り返しの事情聴取から、徐々にからくりが明らかになってきたところで、名探偵の真相披露となります。しかし、こういう動機でここまで複雑で厄介な計画殺人を決行するとは恐れ入りました。何度か登場する、犯人が「魔女の暦」を作成している場面は、テレビや映画のシーンを眺めているような描写なのが面白いです。
●扉の影の女(1961年)
短編「扉の中の女」を改稿した作品。
昭和30年(1955年)12月、金田一耕助のフラット[5]このとき金田一は緑ヶ丘荘に住んでいる設定だが実際に住み始めるのは1957年と思われるにやって来たのは西銀座のバーに勤める夏目加代子。かつて銀座裏の店にいた頃の同僚ハルヨ(こと緒方順子[6]短編では本名も記載あり)からの紹介だそうです。彼女は、京橋近くの店から帰宅するために有楽町駅へ向かって歩いている途中で、真っ暗な路地から飛び出してきた男とぶつかりました。その時に男がハットピンを落としていったようです。加代子が拾ってみると血が付いています。薬局と銀行の間の路地は袋小路になっていて、突き当りには小さい稲荷神社が。京橋や西銀座、有楽町といえば東京高速道路がある辺りですが、この頃はまだ京橋川や汐留川の埋立て工事中だったはずなので、夜遅くともなればかなり暗く寂しい場所でしょう。ハットピンが気になる加代子は路地の中へ。すると神社の賽銭箱の前に首から血を流した女が倒れています。顔を見ると恋敵の江崎タマキです。そばには手紙の切れ端が。そこには「叩けよさらば開かれん」と書いてあります。果たしてどんな意味なのでしょうか。文章自体は有名なので目にしたことがある人も多いかと思います。もとは新約聖書の「マタイによる福音書」にある「山上の垂訓」の一部。第7章7節「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう[7]日本聖書協会・1955年改訳」の部分です。求め続け、捜し続け、叩き続ければ叶えられるということをイエスが説いています。これは「祈り」を譬えていて、開かれるのは天国への入口という解釈もできるでしょう。
加代子がタマキに奪われた彼氏というのは、プロ・ボクシングのミドル級世界チャンピオン、臼井銀哉[8]短編では白井謹三です。背は高くなく5尺4寸を超える程度(約164cm)。ミドル級の体重リミットは160ポンド(72.57kg)なので、ボクサーとしては珍しく相当な横幅になります。ちなみに日本人で世界ミドル級王者だった竹原慎二の身長は約182cm、村田諒太は約183cmあったようです。手紙の切れ端には差出人として「ギン生(せい)」とあるので銀哉が書いたものかもしれません。
加代子は、自分がタマキを殺したと疑われるのではとその場を逃げ出しました。ところが翌朝、タマキの遺体が発見されたのは現場から離れた築地の入船橋下の川です。しかもハットピンは、彼女のオーバーに帽子を縫い付けるようにして見つかりました。加代子は戸惑い、目撃した犯人から命を狙われたりすることを恐れ、金田一耕助に調査を頼みに来たのでした。次の日、捜査本部が置かれた築地署を訪れた金田一は、加代子のことは秘密にしたまま等々力警部らを事件現場の路地へ案内します。賽銭箱の前には血痕を洗ったような跡があり、近くにいた薬局の従業員たちに聞いてみると、そこには毛をむしられた鶏が血だらけで転がっていたのだとか。袋小路の奥、神社の右にある非常口と書かれた青い鉄の扉の向こうがレストラン「トロカデロ」。きっとそこの鶏だろうと言います。「トロカデロ」に住みこみで働くコック長、広田に事情聴取すると、野良猫が調理場から鶏を咥えていったらしいのです。さらに広田は、夜中に外出先から戻った時に死体は見なかったが、扉の内側に落ちていたと言って、ダイヤを配したハットピンを差し出します。もう一人別の女がいたのかも知れません。ところで、パリにあるトロカデロ広場Place du Trocadéroは有名です。エッフェル塔を正面に見ることができるので、観光名所のひとつになっています。このTrocaderoとは、スペイン南部のカディス湾に浮かぶ5㎢ほどの小さな島の名前。1823年に自由主義を掲げて国王フェルディナンド7世を捕らえた反政府軍に対して、介入したフランス軍が攻め落とした砦のあった場所です。その戦勝を記念して広場の名となりました。
警察は臼井や広田、それにタマキのパトロンで財界の傑物と呼ばれる金門剛などを取り調べていきます。金田一はと言うと、殺人と同じ日に起きた、数寄屋橋付近での女子高校生轢き逃げ事件の新聞記事が気になるようです。多聞修(たもんしゅう「支那扇の女」参照)をアシスタントとして方々へ走らせて、情報収集を始めました。タマキの死体はなぜ、誰によって運ばれたのか、扉の中にいたダイヤのハットピンの持ち主は誰か、殺人と轢き逃げは何らかの関連があるのか、積み上がった謎を名探偵が解き明かすのです。
ここまで書いてきてなんですが、このお話には果たしてこういう結末でいいのだろうかと考えるところはあります。謎はひと通り解けるんですけどね。犯人当てのミステリーという点では、短編の方が正当と言って差し支えありません。
●迷路荘の惨劇(1975年)
1956年に「迷路荘の怪人」というタイトルで月刊誌に掲載された短編作品を、1959年に書き加えて中編にした「迷路荘の惨劇」として発表、さらに改稿のうえ長編化されました。
名瑯(めいろう)荘は風光明媚な富士の裾野にどっしりと構える豪邸。明治時代に古館(ふるだて)伯爵によって建てられた屋敷には、自らの身を守る秘密の仕掛けとして、至る所にどんでん返しや抜け穴が設けられました。また伯爵は、多い時には十数名の女たちを囲っていて、そのための長局(ながつぼね)[9]女たちを住まわせるいくつもの小部屋が並ぶ長い廊下などもあることから、いつしか迷路荘と呼ばれるようになったそうです。部屋の抜け穴は地下トンネルへと繋がり、天然の洞窟とも一緒になって正に迷路のような構造になっています。そんな邸宅では、昭和5年に二代目の古舘一人(かずんど)伯と加奈子夫人が斬り殺されるという血生臭い事件が起きました。犯人と目されたのは、同居していた加奈子の遠縁にあたる男、尾形静馬。現場には肩から切り落とされた彼の左腕が。血の痕が屋敷の背後の崖にある洞穴へと続いていたことから警官隊が大捜索したものの、とうとう静馬は発見されませんでした。そして戦後に新興成金の篠崎慎悟によって買い取られた邸宅は、事件から20年後の昭和25年、ホテル名瑯荘としての開業準備中です。金田一は同級生でパトロンのひとり、風間俊六の盟友である篠崎から、事件を報せる電報を受け取り、おっとり刀で名瑯荘へ赴きました。事件というのは、篠崎をかたる偽の電話の指示でダリヤの間に通した、真野信也なる左腕のない人物が部屋から消失したというもの。ダリヤの間には地下通路へと続く隠された抜け穴があります。そこへ入ったに違いないでしょう。折しもホテル開業を控えて、一人の息子で元伯爵の辰人(たつんど)、辰人の叔父天坊元子爵、辰人の継母の弟でフルート奏者の柳町など、名瑯荘と所縁のある古館家の親族たちが集っている最中です。現在の篠崎の妻、倭文子(しずこ)は辰人と結婚していましたが、篠崎が奪い取ったとも買い取ったとも言われていて、少々複雑な事情も窺えます。金田一が篠崎夫妻らと話をしているところへ、悲鳴をあげながら篠崎の娘、陽子が駆け込んできました。辰人が殺されたというのです。現場は母屋から離れたところにある、かつてのミカン貯蔵庫。中には1台の無蓋の馬車が置かれていて、辰人はその座席に座るかたちで発見されました。後頭部を殴られ、首を絞められています。そして、何故か左腕が胴に縛られた姿です。果たして20年前の事件や真野の行動とどんな関係があるのやら。金田一耕助は「女王蜂」(1952年)の事件[10]昭和26年の設定なので、本来は迷路荘事件の方が先で静岡県警にもその名が知れていたので、捜査陣とも親和を図ることができました。金田一を助けるのは現場を指揮する田原警部補と昭和5年の事件を知るベテランの井川刑事。早速、名瑯荘の人々や使用人たちから事情聴取を始めます。さらに、探偵自ら地下トンネルの探索にも出かけるのです。そうこうしているうちにふたり目の犠牲者が。今度は密室殺人です。巧みに練られたトリック、殺人リハーサル、予期せぬ共犯者、地下道での追跡劇と様々な要素が重なり、正に迷路の様相を呈する事件を解決に導くのは目をしょぼしょぼさせた金田一耕助。最後に重要な役割を担った人物が明かされます。