アブサン

Absintheは英語読みはアブシンス、フランス語読みはアブサント。40~70という高いアルコール度数の薬草酒です。セリ科のアニスPimpinella anisumを浸漬した緑色のものが多く、その甘く華やかな香りと味から「緑の妖精」や「緑の女神」と呼ばれます。18世紀末にスイスで誕生し、その後フランスのペルノ・フィス社に製法が引き継がれました。ペルノは、スイスとの国境に近いポンタルリエPontarlierに大規模な蒸留所を建設し、アブサンを大量に製造して海外へも手を拡げていきます。
フランスは1871年のパリ包囲戦の末に普仏戦争で敗北しました。されど、ヨーロッパ全体が産業革命とともに訪れた好景気のもとに繁栄し、華やかな市民文化の時代がやってきます。いわゆるベル・エポックBelle Époque[1]良い時代という意味・大まかに普仏戦争後から第一次世界大戦開戦の1914年までです。アブサンはこの時期にパリを中心に大流行しました。トゥールーズ・ロートレック、パブロ・ピカソ、エドガー・ドガといった画家や、アーネスト・ヘミングウェイ、シャルル・ボードレールなどの作家をはじめ、モンマルトルやモンパルナスに集う数多くの著名人が好んだことでも知られます。

左:ドガ画「アブサン」 / 中:アブサンの宣伝ポスター / 右:マネ画「アブサンを飲む男」

ところが、主成分であるニガヨモギArtemisia absinthiumに含まれる成分ツジョンが、強い中毒性や幻覚などの精神異常に関わるとされて、20世紀初頭から各国で次々と製造、販売が禁止されました。そしてその代用品として登場したのがパスティスPastis[2]古プロヴァンス語で混合物を意味するパシュティッツPastitzです。ニガヨモギを使用せず、アブサンに風味を似せたリキュールで、1931年にマルセイユで生まれたリカールRicardは人気を博し、ペルノ・フィスもペルノPernodの名で商品化しました。2000年代に入ると、アブサンが禁止されていた国々での合法化が相次ぎ、フランスでも2011年に禁止法が廃止。現在は欧米を中心に製造する小規模業者も増えています。成分の毒性よりも高濃度アルコールの大量摂取に問題があることが認識されたからでしょう。なお、ペルノとリカールは合併してペルノ・リカールとなり、世界有数の酒造メーカーに成長しています。

アブサンには独特の飲み方があります。脚付きの小さい専用グラスにアブサンを注ぎ、その上に穴の空いたスプーンを渡して角砂糖をのせます。そこへポンタルリエ・ファウンテンという容器から水を少しずつ垂らして、砂糖をアブサンに混ぜながら3倍から5倍に希釈して飲む方法です。また、これとは別に角砂糖にアブサンをかけてスプーンの上で火を点けるボヘミア式という飲み方もあるとか。アブサンに限らず、ペルノやリカールあるいはギリシャ、キプロスのウーゾ、中東、北アフリカなどのアラック、トルコのラクというような、アニスやフェンネルを使って作られたアルコール度数の高いお酒は、いずれも原液では透き通っているものの、水を加えると白濁します。これはアネトールという成分が、水の中に溶け出して乳化する現象です。

左:アブサン用のグラスとスプーン / 右:ポンタルリエ・ファウンテン

ニガヨモギはキク科ヨモギ属です。日本で、アルテミシアの名前で園芸種として出回っているものもたくさんありますし、自生している仲間も多くいます。取り分け身近なのはヨモギArtemisia princeps Pampaniniでしょう。川原や野原でよく見かけるはずです。ヨモギは多年草で、地下茎によって広がると同時に、秋に大量の花粉を飛散させることもします。どこにでも勝手に生えるので雑草ということになりますが、若芽を混ぜ込んで草餅にしたり、お灸のもぐさや漢方薬として利用されるので、古くから有用植物としても扱われていることは間違いありません。

References

References
1 良い時代という意味・大まかに普仏戦争後から第一次世界大戦開戦の1914年まで
2 古プロヴァンス語で混合物を意味するパシュティッツPastitz