春から初夏にかけて黄金色の花をたくさんつけるのがエニシダCytisus scopariusです。名前だけ聞くとシダ類の仲間みたいでも、実際はマメ科の落葉性低木。エニシダ属にはいくつもの種が存在しますが、どれも花や葉の形でそれとわかります。細い枝に細かい葉が密生し、その先にマメ科特有の丸い花が咲いてこんもりとした樹形になるのです。原産はヨーロッパ、北アフリカから西アジアでその多様性は特に地中海地域でみられます。日本にやってきたのは江戸時代の17世紀後半とされ、当時の書物に「えにすた」の名で紹介されました。エニシダはもともとラテン語名だったゲニスタgenistaが各地に広がり、日本にはオランダ経由で来たためオランダ語読みの「ヘニスタ」として伝わったようです。オランダ語のGの発音はのどの奥から空気を出すような音なので、ガ行よりはハ行に近く聞こえるからでしょう。
中世のイングランドで1154年から1399年まで続いた王朝がプランタジネット朝Plantagenetです。第3回十字軍の遠征で有名なリチャード1世獅子心王Richard The Lionheratedやジョン欠地王John Lackland[1]末っ子で相続領土がなかったの時代から、英仏百年戦争に至る期間にあたります。実はこの王朝は、もともとフランスから始まりました。初代の王となるヘンリー2世(在位:1154年-1189年)は、アンジュー(フランス北西部のロワール川下流域)伯爵の息子として、24時間自動車レースで知られるル・マンで生まれました。父からノルマンディーを領土として受け継ぎ、元のフランス王ルイ7世妃[2]1152年に離婚のアリエノール・ダキテーヌAliénor d’Aquitaineと結婚することでアキテーヌ公領(フランス南西部、ボルドーやリモージュ)も治めるようになります。さらに、内戦中のイングランドから王位継承権を手に入れ、イングランドとフランスの西半分に王権を行使するプランタジネット朝が生まれたのです。プランタジネットの名は、ヘンリー2世の父アンジュー伯ジョフロワ5世Geoffroy d’Anjou Vが、戦いの際に自分の兜にエニシダの小枝(プラント・ジュネplante genêt)を挿しかざしていたことからつけられました。ちなみに、リチャード1世は約10年間の統治期間のうちわずか6か月ほどしかイングランドにおらず、十字軍遠征[3]第3回十字軍・1189年ー1192年費用や自身が捕縛された[4]十字軍の帰路にオーストリア公レオポルト5世により捕らえられ幽閉際の身代金に多額の国費を費やしたのでマイナスイメージが強いはずです。ところが、いまも継承されるイングランド紋章の3頭のライオンを制定したり、十字軍での功績をはじめ勇猛果敢な戦いをしたりということから、獅子心王と呼ばれます。その騎馬像はロンドンの国会議事堂前に鎮座。逆にジョン王は大陸領土喪失などの失政が目立つことからか、その後現在まで同じ名前の王はいません。
エニシダは英語では箒と同じブルームbroom。棘のある枝を束ねて箒をつくったからです。花はマメ科に多い5枚の花弁でできています。虫が花に乗ると花弁が開いて花粉を蒔くのが特徴。果実(豆)は数個の種子が入っていて、熟すと破裂して種子を飛ばします。
生物学では「極相(climax)」という言葉があります。植物群落が段階的に変化することを遷移とよびますが、それが続いて最終的に落ち着き、さほど大きな変化をしなくなった状態のことです。極相は、気候や土壌によるもの、自然災害によるものなどさまざま要因で作られます。その中のひとつが、繰り返しの山火事や人為的な野焼きなどによってもたらされるfire-climax野火極相です。地表付近の植物は燃えていなくなり、その代わりに地中にあった別の植物が芽吹いたり、生き残った植物が根を伸ばしたりして植生が変わっていきます。それが安定した状態になったものが野火極相です。ヨーロッパでのエニシダはおもにその野火極相に相当します。