サンアントニオ / San Antonio

「ビデオゲームを探せ!」”Cloak & Dagger”[1]1984年公開というアメリカ映画 があります。いわゆるB級映画なので、それほど知られていないと思いますが、「E.T.」で有名になったヘンリー・トーマスが主役だったこともあり、アメリカではそこそこヒットしたみたいです。お話は、ゲームソフトに仕込まれた機密情報を巡る陰謀に巻き込まれた少年が活躍するというもの。その中で何度も登場するのが、ボートが行き交う水路沿いにお店やレストランが続く町並みと美しい庭園です。ぜひここに行きたいと思って調べたところ、撮影がおこなわれたのはテキサス州のサンアントニオSan Antonioという町だとわかりました。アメリカ商務省観光局へ赴き、サンアントニオの資料がほしい旨を伝えると珍しがられ喜ばれたのを覚えています。たまたま現地から届いたからと言って町を紹介するビデオをくださいました。

映画のロケ地は、サンアントニオのダウンタウンにあるリバーウォークと呼ばれる場所です。全長4kmほどの水路の両側には遊歩道があり、そこに並ぶホテル、レストラン、商店はみなテキサスやメキシコの植民地風のスタイルに統一されています。面白いのは、このリバーウォークそのものが町の地上レベルから一段下がった5~6m下のところにあること。そのため、ダウンタウンを歩いているとその存在には気づきません。逆にリバーウォークでは都会の日常から隔絶された別世界の趣きです。まるで全体がサンクンガーデン[2]視覚的効果を狙って、掘り下げた場所に花壇や噴水などを配置する庭園になっているかのように思えます。遊歩道沿いの建物には、リバーウォークレベルと地上のどちらからでも利用できるように、両方に出入り口が設けられているのも特徴です。

1921年に豪雨による水害が発生し、サンアントニオは甚大な被害を被りました。そこで治水のためにダムと川のバイパスを建設され、遊歩道や橋、地上への階段などが整備されていきます。その後、観光客誘致と地域経済発展のためにさらなる発展を求めてプロジェクトを推し進め、大規模な植栽や商業施設の誘致をおこなってきました。

サンアントニオで最も有名な歴史建造物はアラモ砦でしょう。もとはキリスト教の布教のためにフランシスコ修道会が建てたものです。19世紀にはスペイン軍が要塞化し、テキサスがメキシコからの独立を目指した戦争において、13日間の攻防戦の末にアメリカ義勇兵が全滅したことで知られています。この戦いを題材として、ジョン・ウェインが監督、主演した映画「アラモ」は西部劇の古典的名作のひとつです。
アラモAlamoとはスペイン語でポプラの意味で、かつて周辺にポプラの林があったことに由来します。ポプラは、もともとヨーロッパから西アジアにかけて分布するヤナギ科の落葉広葉樹で、日本には街路樹として持ち込まれました。和名はセイヨウハコヤナギです。背が高く枝は横に張らずに上方へと伸び、全体的に細身な独特の樹形になります。葉の形も変わっていて横に丸くふくらんだ栗の実のようなタマネギのようなシルエットです。現在では近隣種も含めて世界中で栽培がおこなわれており、街路樹の並木や防風のための植栽として利用されています。
ポプラの属名ポプルスpopulusはラテン語で「人民」を意味します。いまでもローマに行くと町のあちこちで(たとえばマンホールの蓋とか)SPQRと書いてあるものを見かけます。これは古代ローマで公共のものに使われた標語的な名称セネタス・ポプルス・クオ・ロマヌスSenatus Populus que Romanus(元老院とローマ市民)の略です。その古代ローマの時代にもポプラは街路樹として利用されていました。
日本ではまだあまり馴染みがないかもしれませんが、海外では植物が水分や土中の養分を吸い上げる能力を利用して、土壌の汚染物質を除去するというファイトレメディエーションphytoremediationと呼ばれる方法が広く研究されています。有害な物質で汚染された土壌にその物質を吸収できる植物を植え付け、吸収した汚染物質を分解し蒸散させるというやり方です。その研究の中で、ポプラは土壌にとどまる多くの汚染物質の除去が可能といわれて注目されています。ポプラは生長も早く強健なので有効に活用できるかもしれません。

ちなみにサンアントニオという地名は、1691年にここを訪れた神父によって、その日[3]6月13日がパドヴァPadova[4]イタリアはヴェネト州の町・英語名Paduaの聖アントニオの祝日であったことに因み名づけられました。

References

References
1 1984年公開
2 視覚的効果を狙って、掘り下げた場所に花壇や噴水などを配置する庭園
3 6月13日
4 イタリアはヴェネト州の町・英語名Padua