アメリカはユタ州の南部、アリゾナ州との境界近くに位置する国立公園Zion National Parkです。ユタ州で最初に指定された国立公園で、小生にとってアメリカで初めて訪問した国立公園でもあります。その大きさは500㎢[1]大阪市の2倍以上を超えてユタにある5つの国立公園の中で最大ですが、国立公園局によって適正に管理、保護されており、手つかずの自然を体感できる素晴らしい場所です。最高地点のHorse Ranch Mountainホース・ランチ・マウンテン(8,726フィート[2]約2,660m)から最低地点のCoal Pits Washコール・ピッツ・ウォッシュ(3,666フィート[3]約1,117m)まで1,500mほどの高低差があり、そのために植生が豊かで、1,000種以上の植物が生い茂っています。また、そこに暮らす野生生物たちも多種多様です。
メサmesaと呼ばれる地形があります。スペイン語でテーブルを意味する言葉です。浸食により形成された地形で、周囲が崖や急斜面になっていて、頂上部分が水平な岩山を意味します。その規模が大きい台地がプラトーplateau、逆にさらに浸食が進んで頂部が小さくなったものがビュートbutteです。ザイオンで見られるメサは、その形状の美しさもさることながら、カラフルに彩られた300mを超す断崖の自然の造形美には目を奪われます。ザイオンには岩山ばかりでなく、その複雑な地形によってつくり出された峡谷やそこを流れる川、洞窟や森があり、多様な動植物の宝庫です。簡単なハイキングから、少しハードなトレッキング、さらに本格的なキャニオニングやロッククライミングまで楽しめます。
ザイオンZionの名は、シオンの英語読みです。1800年代後半に初めてこの地へ入植した人々によって名付けられました。シオンというのは、エルサレムの南西にある丘のことで、通常はシオンの山と呼ばれます。ここはダビデ王が城を築き契約の箱を安置する幕屋を張った場所であり、ユダヤの人にとっては神聖で重要な存在です。ちなみに契約の箱は、いわゆる十戒として知られる神の律法が刻まれた2枚の石板などが安置されていた箱で、新バビロニアによる征服の際に破壊された、あるいは持ち去られたといわれます。映画「レイダーズ 失われたアーク《聖櫃》」”Raiders of the Lost Ark”のアークのことです。
新バビロニアのネブカドネザル2世がエルサレム征服時に、ユダヤ人をバビロンへ連行し移住させた事件は、「バビロン捕囚」[4]英語では”The Exile” 紀元前597年から538年として知られています。旧約聖書の詩篇第137篇は、捕囚の悲しみを綴った文章です。その冒頭の1節は、”By the rivers of Babylon, there we sat down, yea, we wept, when we remembered Zion”「われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した」[5]日本聖書協会・1955年改訳1978年にドイツの人気グループのボニーMによって歌われヒットした”Rivers of Babylon”は、この詩篇を歌詞にしています。もともとはジャマイカのグループの歌のカバーです。バビロンへと連れていかれた人々は、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシャのキュロス2世によって解放され、イスラエルへと戻ることができました。しかし、ローマ帝国との2度にわたる戦争に敗れた結果、エルサレムへの立ち入り禁止など厳しい弾圧をうけることとなり、民族離散(ディアスポラ)へとつながります。19世紀末から起こった、離散ユダヤ人による古郷での国家建設を目指す動きが、エルサレムの象徴的場所であるシオンへ戻ろうとするシオニズム運動です。
国立公園にザイオンと名付けたのは、その景観に聖域をイメージしたからかもしれません。
カジュアル衣料とアウトドア用品を扱うCHUMSチャムス[6]日本でのアクセサリー輸入総代理店は株式会社ランドウェルというブランドをご存知でしょうか。ペンギンと間違える人も多いカツオドリのマークが有名ですね。この会社が最初に店舗を構えたのは、ザイオン国立公園のすぐ南西にあるユタ州ハリケーンという町だそうです。