アメリカ中西部、東をインディアナとケンタッキー、西をミズーリとアイオワ、北がウィスコンシンに囲まれたイリノイ州は、かつてアメリカのメインストリートと呼ばれたルート66[1]シカゴからカリフォルニアのサンタモニカまで・1985年廃線が縦断していた重要な場所です。州都は中央部にあるスプリングフィールド。でも名実ともにイリノイを代表する都市がシカゴです。ニューヨーク、ロサンジェルスに次ぐアメリカで3番目に人口の多い町。とは言っても現在は270万人[2]1950年代は350万人超だったほどなので大阪市より若干少ないぐらいでしょう。シカゴがあるのは州北東部のミシガン湖のほとり。シカゴは”The Windy City”「風の強い町」と呼ばれます。ミシガン湖からの風が吹きつける場所ではあるものの、統計的にはアメリカで特に強風が激しい町というほどでもなく、その名前の起源には諸説あるようです。英語のwindyには、「口先だけの」とか「中身のない」などの意味もあります。

ちなみに、シカゴを舞台としたその名も”Windy City”なる映画(1984年製作、主演:ケイト・キャプショー)がありましたが、日本未公開です。
もちろん、それ以外にシカゴではたくさんの映画が撮影されています。「ブルースブラザーズ」”The Blues Brothers”や「アンタッチャブル」”The Untouchables”や「ホーム・アローン」”Home Alone”などは有名です。でも小生のおすすめ映画は「フェリスはある朝突然に」”Ferris Bueller’s Day Off”。監督は、モリー・リングウォルドを起用して「すてきな片想い」”Sixteen Candles”[3]1985年日本公開・マイケル・シェーフィング共演、「ブレックファスト・クラブ」”The Breakfast Club”[4]1986年日本公開・エミリオ・エステベス共演、「プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角」”Pretty in Pink”[5]1986年日本公開・アンドリュー・マッカーシー共演といった青春コメディのヒット作[6]3作品ともシカゴ郊外などイリノイ州が舞台を連発していたジョン・ヒューズです。
マシュー・ブロデリック演じるフェリス・ビューラーは仮病でハイスクールを休みます。ガールフレンドのスローンと親友のキャメロンも誘い出し、キャメロンの父の愛車フェラーリでシカゴの町へ繰り出すのです。それはさながらシカゴの観光案内の如し。442.3mで当時世界一の高さを誇ったシアーズ・タワーSears Tower(現ウィリス・タワー)の、103階にあるスカイデック・シカゴから町全体を一望し、シカゴ・マーカンタイル取引所Chicago Mercantile Exchange(CME)[7]1848年に設立された世界最古の先物取引所Chicago Board of Trade(CBOT)シカゴ商品取引所と2007年に合併してCMEグループとなったのヴィジターセンターで語り合い、リグリー・フィールドWrigley Fieldでのシカゴ・カブスの試合を観戦して、メトロポリタン美術館とボストン美術館に並んでアメリカを代表する美術館のシカゴ美術研究所The Art Institute of Chicagoで名画の鑑賞など。そして、フェリスがパレードのフロート(山車)の上でビートルズのトゥイスト・エンド・シャウトを熱唱して、町中の人々が踊りまくるシーンも印象的。このパレードは、”Von Steuben Day”「フォン・ストゥーベンの日」のイベントです。アメリカ独立戦争で功績のあったプロイセン出身のフォン・ストゥーベン男爵を称える祝日とされ、アメリカの主にドイツ系移民が多い地域で祝われます。


フェリスが物語のはじめの方と一番最後に言うのがこの言葉。
“Life moves pretty fast. if you don’t stop and look around once in a while, you could miss it.”
「人生が過ぎるのは凄く早いよ。たまには立ち止まって見回してみないと見逃しちゃうかもしれない」
何となく日々を過ごしていると、大事なことに気付かないままあっという間に月日が流れてしまうということでしょう。
エンド・クレジットの後に、バスローブを着て部屋から出てきたフェリスはカメラ(観客)に向かって、”You’re still here?”「まだいたの?」、さらに”It’s over.”「終わったよ」、”Go home.”「帰りな」と続けます。部屋に戻りながら「あっち行け」のような手を振る仕草で”Go.”「行けったら」というシーンがおまけ。

シカゴは大都市なだけにプロスポーツも盛んです。1990年代にバスケットボール界のスーパースターだったマイケル・ジョーダンを擁して、2度の3連覇を達成したNBA[8]ナショナル・バスケットボール・アソシエイションのBullsブルズ、NFL[9]ナショナル・フットボール・リーグで、その前身であるAPFA[10]アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエイション創設の1920年から加盟しているBearsベアーズ[11]創設時はディケーター・ステイリーズ、NHL[12]ナショナル・ホッケー・リーグのBlackhawksブラックホークス、MLS[13]メジャーリーグ・サッカーのFireファイア、女子でもWNBA[14]ウィメンズ・ナショナル・バスケットボール・アソシエイションのSkyスカイ、NWSL[15]ナショナル・ウィメンズ・サッカー・リーグのStarsスターズなど多くのチームがシカゴ及びその郊外を本拠地としています。

それでもやはり歴史と伝統のあるスポーツと言えば野球でしょう。MLB[16]メジャーリーグ・ベースボールで2チームを本拠として置く町は他にニューヨークとロサンジェルスがあります。でもなんと言ってもシカゴは、それがAL[17]アメリカン・リーグ創設の1901年から途切れずに続いている[18]ニューヨークは1958~1961年がヤンキースのみ、ロサンジェルスは1961年から2チーム(アナハイムを含む)ので別格です。NL[19]ナショナル・リーグがCubsカブス、ALがWhite Soxホワイトソックス。
ホワイトソックスには、1919年に発生した「ブラックソックス事件」と呼ばれる、ワールドシリーズでの八百長という誠に不名誉なスキャンダルがあります。W.P.キンセラの小説”Shoeless Joe”「シューレス・ジョー」と、それをもとに映画化した”Field of Dreams”「フィールド・オブ・ドリームス」(1990年日本公開、主演:ケビン・コスナー)でご存知の方も多いかも。アイオワ州ダイヤーズヴィルという田舎町でトウモロコシ農場を営む男が、”If you build it, He will come”「それを造れば彼はやって来る」という囁きを聞き、自力で畑の中に野球場を建設。シューレス・ジョー・ジャクソンやブラックソックス事件の選手たちが現れて…というファンタジーです。小生にとっても生まれるずっと以前の選手ばかりなので思い入れはなかったのですが、映画としての出来は非常に良かったと思います。
MLBは、ダイヤーズヴィルの映画で使用した球場を改築し、2021年と2022年のレギュラーシーズン中に、スペシャルティ・ゲーム[20]MLB at Field of Dreamsを開催。映画同様に背の高いトウモロコシ畑の中から選手たちが入場するという演出でした。

カブスのホームであるリグリー・フィールドは、ボストン・レッドソックスのフェンウェイ・パークに次ぐMLBで2番目に古い球場。1914年から使われています。長らく照明設備がなかったことが有名で、80年代には証明設置推進派と反対派の市民が激しく争いました。反対派は、照明設置やナイター開催による環境悪化とか野球は太陽の下でやるべきだとかの主張を繰り広げ、”NO LIGHTS”「証明は要らない」と書かれたTシャツを着て抗議をしたのです。紆余曲折の末、1988年8月8日に初めてのナイトゲームが開催されました。

カブスでもうひとつよく知られている話といえば、”Curse of the Billy Goat”「ヤギの呪い」でしょう。市内の居酒屋”Billy Goat Tavern”「ビリー・ゴート・タヴァーン」のオーナーであるシアニスは、カブスの試合観戦にいつもペットのヤギ、マーフィーを連れて行きました。ところが、1945年のワールドシリーズ第4戦の日、他の観客からのクレームが理由で入場を断られてしまいます。激怒したシアニスは、「もうカブスは勝てない」と言い残したのてす。その言葉通りワールドシリーズは敗退。その後はリーグ優勝からも遠ざかり、惜しいところで勝ちを逃すと必ずと言っていいほど「ヤギの呪い」が取り沙汰されました。71年後の2016年になってようやく呪いが解けてワールドチャンピオンに輝いたのです。
カブスには他にも「黒猫の呪い」とか「スティーブ・バートマンの呪い」といった伝説があります。詳しくはMLB公式ページで。

もともとNLとALに分かれているので、カブスとホワイトソックスの対戦はエキシビションとワールドシリーズ[21]1908年の1回だけ以外ありませんでした。それが1997年から始まったインターリーグ(交流戦)により、公式戦での対決が実現。毎年恒例のカードとして組まれていて、Cross Town Seriesクロス・タウン・シリーズ、Windy City Classicウィンディ・シティ・クラシック、Chi-Town Classicシャイ・タウン(チー・タウンではない)・クラシックなどと呼ばれます。

シカゴはローカルフードも充実。ヨーロッパ各国からの移民たちが持ち込んだり考案した料理が数多く揃います。
★Deep-dish pizzaディープ・ディッシュ・ピザ
パイやケーキを焼くための型を使うので、厚くて縁の背が高いクラストになるので深皿の名があります。つくり方も独特で、最初にチーズをたっぷり敷いてから様々な具を載せ、最後にトマトソースをかけるという、通常のピザとは上下が逆になったスタイルです。1943年にシカゴで開店したPizzeria Unoで初めて供されたといわれます。
★Chicken Vesuvioチキン・ヴェスヴィオ
ポンペイ遺跡で有名な南イタリアの火山ヴェスヴィオの名前が付けられた料理。シカゴが起源かどうかは定かではありませんが、この町ではとってもポピュラーな一皿なのは間違えありません。骨付きの鶏肉とジャガイモ、ニンニクにハーブとレモンのソースをかけてオーブンで焼いたもの。シンプルで美味しいです。
★Chicago-style hot dogシカゴ・スタイル・ホットドッグ
シカゴと言えばこれを忘れてはいけません。シカゴ・ドッグとも呼ばれる名物。
1893年のシカゴ万博は、コロンブスの新大陸発見の1492年から400年を記念した博覧会なので、World’s Columbian Expositionと呼ばれます。博覧会にオーストリア・ハンガリー系移民のふたりが出店したのが”Vienna Sausage”です。そこで提供されたホットドッグが歴史の始まりとされています。
ひとつの特徴は具が多いこと。ケシの実を塗したバンズに長いソーセージを挟み、トマト、みじん切りのタマネギ、大きめのディルピクルス、レリッシュを載せます。それに欠かせないのがスポーツ・ペッパー。見た目はシシトウのような青いトウガラシのピクルスです。これがないとシカゴ・スタイルと呼べないとか。聞いた話では、野球などのスポーツ会場でよく使われたからその名があるらしいです。スーパーマーケットなどでも瓶詰めで売られていますが、シカゴ以外では見かけたことがありません。もうひとつの特徴はケチャップをかけないこと。調味料はイエローマスタードとセロリソルトのみです。シカゴのホットドッグ店ではケチャップを置いていないのが当たり前だといいます。

シカゴへ行ったら、Chicagoansシカゴアンズ(シカゴ市民)と交じって、シカゴ・ドッグにかぶりつきながらシカゴのチームを応援しましょう。
References
↑1 | シカゴからカリフォルニアのサンタモニカまで・1985年廃線 |
---|---|
↑2 | 1950年代は350万人超だった |
↑3 | 1985年日本公開・マイケル・シェーフィング共演 |
↑4 | 1986年日本公開・エミリオ・エステベス共演 |
↑5 | 1986年日本公開・アンドリュー・マッカーシー共演 |
↑6 | 3作品ともシカゴ郊外などイリノイ州が舞台 |
↑7 | 1848年に設立された世界最古の先物取引所Chicago Board of Trade(CBOT)シカゴ商品取引所と2007年に合併してCMEグループとなった |
↑8 | ナショナル・バスケットボール・アソシエイション |
↑9 | ナショナル・フットボール・リーグ |
↑10 | アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエイション |
↑11 | 創設時はディケーター・ステイリーズ |
↑12 | ナショナル・ホッケー・リーグ |
↑13 | メジャーリーグ・サッカー |
↑14 | ウィメンズ・ナショナル・バスケットボール・アソシエイション |
↑15 | ナショナル・ウィメンズ・サッカー・リーグ |
↑16 | メジャーリーグ・ベースボール |
↑17 | アメリカン・リーグ |
↑18 | ニューヨークは1958~1961年がヤンキースのみ、ロサンジェルスは1961年から2チーム(アナハイムを含む) |
↑19 | ナショナル・リーグ |
↑20 | MLB at Field of Dreams |
↑21 | 1908年の1回だけ |