中学1年生の時に初めて読んだロシア文学が、アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキンАлександр Сергеевич Пушкинの「スペードの女王」[1]岩波書店刊・神西清訳Пиковая дама(ピコヴァヤ・ダーマ)でした。この短編小説は、1834年に発表された文豪プーシンキンの代表作ともいえる作品です。舞台はサンクトペテルブルク。博打好きでありながら倹約家のゲルマンは、カルタ賭博を見るだけで自らは手を出しません。しかし、三枚のカードによる必勝法の存在を聞くにつけ、一発大勝負に出ようと心に決めます。そしてその秘伝を知る伯爵夫人のもとへ向かう…というお話。そして一種幻想的な展開の末、ゲルマンはその秘伝を心得て乾坤一擲、有名なギャンブラーであるチェカリンスキイの賭けのテーブルへ。さて結果は如何に…。
この物語の中で主体となる、カルタつまりトランプのゲームは「ファラオンфараон」と呼ばれています。英語ではファロFaro、フランス語ではファラオPharaohです。18世紀から20世紀初頭までイギリスやアメリカ、それにロシアでも最も人気のあるギャンブルだったそうで、トルストイ[2]レフ・ニコラエヴィチ・トルストイЛев Николаевич Толстой/1829-1910の「戦争と平和Война и мир」の中に出てくる、ニコライが恋敵のドーロホフに大負けしたギャンブルというのもこのゲームだとか。詳しいルールはよく知りませんが、現在のトランプと同じ、1デッキ52枚のカードを使います。ひとりのバンカー(親)に複数のプレイヤーが対戦。プレイヤーが賭け金を張るとバンカーが自分用とプレイヤー用に1枚ずつカードを配り、プレイヤーのカードの方が強ければ[3]2~10、J、Q、K、Aの順で強くなるプレイヤーの勝ちというのが簡単な説明です。小説の中では、バンカーとプレイヤーが1デッキずつカードを持っています。プレイヤーが1枚だけカードを手元に用意し、そのカードがバンカーの開いた2枚のカードのうちプレイヤー用のカードと一致すれば大勝ちという感じかなと思いました。
プーシンキンは1799年にモスクワで生まれ、僅か37歳の若さでサンクトペテルブルクにてその生涯を閉じます。偉大な詩人であり作家であった彼は、合計で21回もの決闘をしたそうです。その最後の決闘で受けた銃弾による負傷が元で命を落としました。活躍した期間が短いだけに残した作品もさほど多くはないにもかかわらず、ロシアでのプーシキンの人気は絶大です。エルミタージュ美術館に次ぐ世界第2位の美術品の収蔵数を誇るモスクワ美術館は、彼の没後100年を記念してその名を冠した国立A.S.プーシキン美術館となり、彼が子供時代に夏を過ごしたモスクワ西郊のザハロヴォЗахарово(Zakharovo)とマルヤ・ヴャゼミМалые Вязёмы(Malye Vyazemy)に残る邸宅は、プーシキン保護区として歴史文学博物館になっています。また、1811年から6年間学んだ貴族の子弟向けの高等教育機関ライシーアムのあった場所は、ツァールスコエ・セロЦарское Село(Tsarskoe Selo)という皇帝の避暑地。サンクトペテルブルク郊外の世界遺産として有名なエカテリーナ宮殿Екатерининский дворецがあるところで、そこは彼に因んでプーシキン村[4]現在はサンクトペテルブルクのプーシキン区と名付けられました。
さて、同名のタイトルで昭和35年(1960年)に刊行された横溝正史の小説があります。物語は金田一耕助が、最近事故死した知人「彫亀」こと彫物師の坂口亀三郎の妻キクから、刺青に纏わる奇妙な話を聞かされるところが始まり。依頼人に目隠しをされて連れていかれた彫亀は、かつて自分が女の腿に彫ったことのあるものと同じスペードの女王のカードの入れ墨を、別の女の腿に彫ることなりました。案内された場所も彫った相手の顔もわからず、謎ばかりのなんとも怪しげな状況だったそうです。そして、彫亀の事故死に疑問を抱いていたキクは、片瀬沖にスペードの女王の刺青がある首なし死体が浮いていたという新聞記事を見つけたため、金田一耕助のもとへやって来たといいます。金田一は盟友である等々力警部らと共に捜査に乗り出しました。スペードの女王の刺青を持つ二人の女とは何者なのか、死んだのはどちらなのか。名探偵がもたもたしているうちに連続殺人事件へと発展していってしまいますが、最後にはすっきりすべての謎を解いてみせるというお決まりのパターンは変わりません。それならもっと早くに犯人が分かっていたんじゃないの、と思う節もあるものの、これは他の探偵小説でもよくあることで、死体が増えないと読者が許さないなどと思い込んでいる可能性は無きにしも非ず。
実はこの作品は、昭和33年(1958年)に小説誌に発表された短編小説を改稿したもの。そのタイトルは「ハートのクイン」でした。それを変更したのは、当然のことながらプーシキンにあやかっているのでしょう。しかし、トランプやギャンブルとは無縁のストーリーでは、「スペードの女王」を特徴的な入れ墨の意匠として取り入れることにより、単なる顔のない被害者というだけでなく、妖しい謎に包まれた殺人事件を描くための重要かつ効果的なファクターとしているのは間違いありません。横溝作品を読み比べてみると、個人的には金田一がペンギン書房の前田浜子と直接会話する「ハートのクイン」の方がいい出来に思えます。