ドイツの首都ベルリンは、1989年の壁崩壊まで東西冷戦の象徴とも言うべき場所でした。陸の孤島として不自由な立地でありながら、西側の物資が空輸され自由な消費文化も当たり前に手にしてきた西ベルリンと、社会主義の名の下に思想的にも経済的にも抑圧されて閉鎖的生活を余儀なくされてきた東ベルリンとでは、壁一枚でまったくの別世界であったといえます。現在は物理的「鉄のカーテン」ともいえるベルリンの壁は取り払われ、壁と緩衝地帯があった場所の再開発がすすみ、かつての面影はいくつかのモニュメントに残るのみになりました。数々の映画にもスリリングな場面の舞台として登場したチェックポイント・チャーリーは記念撮影のスポットに、そして取り壊された壁のかけらは観光客のお土産品へと変わっています。
東西ベルリンを分ける最も印象的な場所として有名なのはブランデンブルク門です。18世紀に建造された、四頭立ての馬車に乗る女神像を頂く城門で、統一前は東ベルリンの一番西側にあり、その扉は固く閉ざされていました。その門から東ベルリンの中心部へと延びる並木道が有名なウンター・デン・リンデンUnter den Lindenです。かつて通りは、シュプレー川の中州にあるプロイセン時代のベルリン王宮まで続いていました。しかしその王宮は東ドイツ政府によって破壊され、跡地に人民議会や各種の文化施設を合わせた共和国宮殿Palast der Republikという名称の近代建築が建てられたのです。当初から不人気の建物でしたが、統一後には賛否両論ある中で解体、そこはかつてのベルリン王宮の外観を再現した、フンボルトフォーラムという文化と科学の交流、討議を目的とする複合施設に生まれ変わりました。川を越えた西側のウンター・デン・リンデン沿いにあるのがノイエ・ヴァッヘという王宮衛兵詰所です。東ドイツ時代にはここに永遠の炎を備えた無名戦士の墓が置かれており、建物前では衛兵交代の儀式が行われていたのを覚えています。
ウンター・デン・リンデンとは、「ボダイジュの下」という意味です。その名の通り、道の両サイドには立派なボダイジュが並んでいます。「ボダイジュの下」と聞くと、お釈迦様が、ブッダガヤにあったその木の下で悟りを開いたという話を連想するでしょう。実際に日本でもお寺などでリンデンと同種のボダイジュが植えられているのを見かけます。しかし、残念ながらリンデンはこのお釈迦様の菩提樹と同じものではありません。ややこしい話ですが、お釈迦様のほうはクワ科の植物Ficus religiosaでイチジクの仲間なのに対し、リンデンやいわゆるボダイジュは中国原産のアオイ科シナノキ属の植物Tilia miquelianaです。並べて比べてみれば簡単に違いがわかるものの、大昔に日本へ伝わる際に樹種が間違ってしまったのだとききました。一説では、インドでヒンドゥー教による迫害を恐れた仏教徒が、わざと別の樹種をブッダの木であるとしていたともいわれています。日本では、本来の菩提樹はインドボダイジュ(英語ではBodhi treeまたはBo tree)、リンデンはセイヨウボダイジュという和名がつけられ区別されています。広島の宝勝院にある被爆樹木のボダイジュはセイヨウボダイジュのほうです。