ポアロ登場

Poirot Investigates(1924年)
アガサ・クリスティが描くベルギー出身の名探偵エルキュール・ポアロ。立派な口髭をたくわえた小男の、素早く目覚ましい活躍を纏めた短編集を私見によってご紹介します。(内容は早川書房版がベースです)
イギリス本国では11の物語で出版され、その後、アメリカでは3話が追加された14編の構成になりました。その3篇はイギリス版では”Poirot’s Early Cases”(ポアロの初期の事件)に収録されています。日本では何度も出版されており、その都度ほかの短編などとも再構成し直されました。早川書房版では、1978年初版以降のこのタイトルの文庫本では14編です。

▽〈西洋の星〉盗難事件The Adventure of “The Western Star”
アメリカの人気映画女優メアリー・マーヴェルが、自身が所有する見事なダイヤモンド〈西洋の星〉に関する脅迫状のことでポアロを訪ねます。彼女がやってきたのは、クロンショー卿から甥の死んだ事件を解決した話を聞いたからだとか。恐らくこれは、「戦勝記念舞踏会事件」”The Affair at the Victory Ball”(1923年)のことでしょう。でもそのお話の中で亡くなったのがクロンショー子爵で、その伯父はベルテイン子爵です。恐らくメアリーかアガサ本人の記憶違い。
脅迫状は〈西洋の星〉を盗むことを予告する内容であり、ポアロは宝石を自分に預けるように諫言します。しかし、メアリーは招待されているヤードリー卿の狩場へ持っていくのだと言って聞き入れません。なぜなら、ヤードリー家には〈西洋の星〉と対になった〈東洋の星〉と呼ばれるダイヤモンドがあり、それと〈西洋の星〉を比べたいからだと言います。〈西洋の星〉は、メアリーの夫で俳優のグレゴリーが、サンフランシスコの中国人から買ったもの。なんでも深い因縁めいた曰く付きの宝石のようです。最近のゴシップ新聞の記事によれば、ふたつの宝石は中国の寺院にあった神像の両目であり、いずれ神の元へ戻るのだとか。メアリーが迎えに来たグレゴリーに連れられて帰り、ポアロが外の空気を吸いに出かけると、今度はヤードリー夫人が現れました。ヘイスティングズが代わりに対応します。彼女にも同じ内容の脅迫状が届いたのだそうです。関心を抱いたポアロとヘイスティングズはヤードリー家へ赴きます。ところが、〈東洋の星〉を披露しようとヤードリー夫人が現れた刹那、灯りが消えてダイヤモンドが強奪されてしまいました。さらに、メアリーとグレゴリーが滞在するホテルでも、金庫室に預けてあった〈西洋の星〉が盗まれたのです。いずれも犯人は中国人のように思われます。ポアロの大失態と思いきや…。ちなみに、中国人のことはChineseやChinamanと書かれていますが、メアリーとグレゴリーが使っていたのはChinkという蔑称でした。


▽マースドン荘の悲劇The Tragedy at Marsdon Manor
ポアロは保険会社の友人から、最近5万ポンドの生命保険をかけたばかりの男が死んだので調べてほしいと頼まれました。CPI Inflation calculatorによると当時の5万ポンドは現在[1]2024年の約390万ポンド(およそ7億円以上)です。でも亡くなったマルトラヴァーズ氏は破産寸前の状態だったとか。彼は1年ほど前に結婚した若い奥さんのために保険に入ったようです。ヘイスティングズと共に現場のマースドン荘へと向かうポアロ。検死をした医師は内出血が死因だと言います。死体の脇にはカラス撃ちの小型ライフルがあり、出かけた途中で急に具合が悪くなったとの見立てです。カラス撃ちのライフルとは、Rook rifleルーク・ライフルと呼ばれる、カラスなどの害鳥や、食用の鳥やらウサギといった小さな獲物を捕獲するための軽い銃のこと。口径も小さく威力はさほどありませんでした。
ふたりが未亡人を訪問した後で出会うのがブラック大尉。どうやら、彼がマルトラヴァーズの死の前夜に語った話というのが謎を解く鍵のようです。この物語でのポアロは、お得意の小さな灰色の細胞を駆使して真相を披露する手法ではなく、手の込んだ罠を仕掛けて犯人に自供させるというもの。ちょっと異色です。
ポアロたちはマースドンへ行くにあたって、リヴァプールストリート駅からグレート・イースタン鉄道Great Eastern Railway(GER)に乗ります。GERはロンドンから北東のケンブリッジ、イプスウィッチ、ノリッジ方面へ向かう路線。イギリスでは1921年に成立した鉄道法によって、120ほどあった鉄道会社を4つの大企業にグループ化されます。そのため本書出版時には、GERはロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道London and North Eastern Railway(LNER)の傘下でした。

右:リヴァプールストリート駅

▽安アパート事件The Adventure of the Cheap Flat
ヘイスティングズは友人たちとの集まりで、新婚のロビンソン夫妻と会いました。家探しの話題になったところで、夫妻から、ロンドン中心地ナイツブリッジ近くの超高級アパートMontague Mansionsモンタギュー・マンションズをただみたいに激安の金額で借りることができたと聞きます。ロンドンには実際にMontague Mansionsという通りがあり、その一画は高級アパートです。でもそこは、中心地には間違いないもののナイツブリッジからは離れたメリルボーンにあります。
安いアパートの話に興味を持ったポアロが勝手に調査を開始すると、やはり奇妙な状況です。怪しいと睨んだポアロは、同じアパートに部屋を借りて、目指す部屋への潜入を試みます。ポアロがヘイスティングズに話すのは、半年ほど前にアメリカの政府機関から盗まれた海軍の計画書について。そこには最重要の港湾防衛拠点が印されており、日本などの敵対するであろう外国政府が狙っていたようです。このアパートとどういう繋がりがあるのでしょう。ここからは、頭脳派のはずの探偵が、他人の部屋に大胆な手口で忍び込んでは細工を施したり、犯人相手に大捕物を演じたりと派手に動き回るのです。これは、ポアロものの特に初期の、ほかの作品でも似たような状況が見られますね。
いくら国際的な陰謀を暴くためとはいえ、住居不法侵入や器物損壊、略取、暴行などの犯罪が満載なので、ジャップ警部の力でどれだけお目こぼしをしてもらえるのか気になるところです。まあ冷静に考えれば、警察だってここまではやらないでしょうけど。ポアロたちが悪人のアジトを見つけて警察を呼ぼうとすると、相手の男が叫ぶのが”No,don’t do that for Heaven’s sake!”「だめだ、後生だからやめてくれ」。for Heaven’s sakeやfor God’s sake、for Christ’s sakeなどのかたちで表現されるのは、何かをやってほしい、やめてほしいという切実な願いのとき。「一生のお願いだから」と言うときに使います。
ポアロたちの大暴れで無事に国際的事件は解決。でも、その後にロビンソン夫妻の住まいがどうなったのかも知りたいところです。


▽狩人荘の怪事件The Mystery of Hunter’s Lodge
ロジャー・ヘイヴァリングなる人物が、同居する叔父が殺されたから調べてほしいとやって来ます。生憎ポアロはインフルエンザに罹患していて動けません。ヘイスティングズが単身現場へ向かい、ポアロは彼に電報で指示を伝えることになりました。事件の舞台となったのは、亡くなったハリントン・ペイスとヘイヴァリング夫妻が数日を過ごすために訪れていた狩猟小屋。場所はイングランド中部に位置するダービーシャーです。ダービーシャーには、ダービー・マッチ[2]英語ではLocal derbyの語源と言われるダービーの町があります。ちなみに競馬のクラシックレースのダービーは、1780年にこのレースを始めたダービー伯の名によるもので、地名とは関係ありません。本場イギリスのダービーが開催されるのは、ロンドン中心部から南南西に17マイルほどのエプソム・ダウンズ競馬場です。
Hunter’s Lodgeは、狩人荘や猟人荘という固有名詞ではなく、主に貴族が遊びとしての狩猟を楽しむために建てた別荘のようなもの。余談ですが、イギリス植民地時代のカナダでは、1837年から翌年にかけてアッパー・カナダ(現オンタリオ州)とロワー・カナダ(現ケベック州)で相次いで反乱が起きました。Hunter’s Lodgeは、その節にアメリカで組織された秘密結社の名称です。lodgeには組合や協会の支部という意味もあります。

右:ダービーシャー名物のスティルトンチーズ

さて、小屋の家政婦の供述によると、昨晩ハリントンを訪ねてやって来た黒い顎鬚の男が銃器室にあったリヴォルバーで彼を撃ち殺したのだとか。ヘイスティングズが詳細をポアロに報告すると、彼からは家政婦とヘイヴァリング夫人の容姿と服装を知らせるようにと連絡がありました。いったい何を意味しているのでしょうか。
ポアロが、種明かしの際にシェイクスピアの言葉と間違える”There’s no such person”「そんな人はいません」なる重要な意味を持つフレーズは、チャールズ・ディケンズの”Bleak House”「荒涼館」第14章にあります。


▽エジプト墳墓の謎The Adventure of the Egyptian Tomb
ポアロとヘイスティングズが事件の調査のためにエジプトまで出張します。物語の冒頭に述べられているのが、Tut-ankh-Amenトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王の墳墓について。カーナヴォン伯爵の資金援助で、ハワード・カーター調査隊により墓が発掘されたのは本書の出版の2年前、1922年のことです。ご承知のようにこれは世紀の大発見であるのはもちろん、その後の関係者の連続する怪死で「ファラオの呪い」が実しやかに論じられたことでも、好奇と注目の的になりました。アガサもその「ファラオの呪い」をテーマにこの作品を書いています。もちろん呪いで人が死ぬことなどあり得ないというのが前提です。

ジョン・ウィラード卿とアメリカ人のブライブナーは、カイロ近郊ギザのピラミッド付近で発掘調査を行っていて、思いがけずMen-her-Raメンハーラ王の墳墓を発見します。エジプト古王国第8王朝(紀元前22世紀)とあるので、おそらく、Men-ka-Raメンカラ王から拝借していると思われます。ギザの第3ピラミッドの主とされるMenkauraメンカウラー王は第4王朝(紀元前26世紀)のファラオなので別人です。現在では、古代エジプトの古王国は第6王朝までとされ、第7から第10王朝まではエジプト全土を統治できていなかった衰退期として第1中間期と呼ばれます。ピラミッドのような遺構はほとんど残されておらず、歴史的にも重要性が低い扱いになっていることは否めません。トゥトアンクアメンは、古代エジプトが最も栄えていたとされる新王国第18王朝(紀元前14世紀)の王様です。その墓は、カイロから南へ650㎞ほど離れた現在のルクソールの郊外、Velley of the kings「王家の谷」で発見されました。黄金と宝石で装飾されたマスクと三重の棺をはじめ、見つかった夥しい副葬品の数々から、当時のエジプトの国力やファラオの権威がうかがい知れたものです。メンハーラ王の墓が、たとえ手つかずの状態で発見されたとしても、王権が凋落した時代にあり、恐らく内容的にはトゥトアンクアモン墓とは比較にならないほど貧弱だったのではないかと思います。
メンハーラ発掘中にウィラード卿が心臓麻痺で急死し、その二週間後にはブライブナーが急性敗血症で亡くなり、さらに彼の甥がピストル自殺しました。世間では「呪い」が取り沙汰されます。ポアロたちは、発掘を引き継いだ息子を案じたウィラード卿の未亡人から調査を依頼され、エジプトへと向かうのです。当時、ロンドンからは長旅でした。フランスに渡り列車でマルセイユまで。4日間の航海でアレグザンドリアへ。そしてカイロからギザという行程。船に弱いポアロでなくても疲労困憊という感じでしょう。彼らが滞在したのがMena House Hotelメナ・ハウス・ホテル。1886年建造でピラミッドヴューの部屋があるラグジュアリーなホテルです。小生が宿泊していた頃はオベロイグループ[3]インドの高級ホテルチェーンでしたが、現在[4]2023年はマリオットに経営が引き継がれています。
発掘現場のテントで早速調査を開始したポアロは、「呪い」に見せかけた連続殺人の真相を暴くために、危険を覚悟で大胆な作戦に出るのでした。


▽グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件The Jewel Robbery at the Grand Metropolitan
ヘイスティングズは、ポアロを誘って週末をブライトンのグランド・メトロポリタン・ホテルで過ごすことにしました。ブライトンはロンドンの真南に位置し、今では列車で1時間ほどで行くことができる、イングランドでも有数の人気ビーチリゾートです。イースト・サセックスにあり、自治体としてはお隣のホヴと合わせてBrighton and Hoveといいます。グランド・メトロポリタンは架空のホテルです。恐らく、1864年開業で海に面して立つヴィクトリア朝ホテル、グランドがモデルでしょう。

ふたりが入ったホテルのレストランでは、大勢の着飾った人たちが溢れています。食後に、裕福な株式ブローカーのオパルセン夫妻とコーヒーを飲んでいると、宝石好きの夫人が、ぜひ世界でも最上質といわれる真珠のネックレスを見せたいと言い出し、部屋へそれを取りに行きました。その後オパルセン氏もボーイに呼ばれて中座し、ふたりは長く待たされます。何かが起きたと悟ったポアロ。やがてオパルセン夫人の部屋へ招じ入れられると、なんと件のネックレスが盗まれてしまったようです。疑わしいのは部屋にいた夫人のメイドと客室係の女性。でも、ふたりの身体検査をしてもネックレスは出てきません。あれこれ調べて聞き込みをしたポアロは真相に辿り着いたようで、”The real work, that of the brain (ah, those brave little grey cells), it is done.”「本質的な労働は、頭脳(あぁ、その優れた小さくて灰色の細胞)のね、終わったよ」と言うのです。さらに自分の袖口に付いた白い粉に関して言及するのが”Not the poison of the Borgias”「ボルジア家の毒薬じゃないよ」。ボルジア=毒殺という構図はよく知られていますね。使われたのがカンタレッラと呼ばれる白い粉状の毒薬だったとか。実際、ローマ教皇アレクサンデル6世の息子チェーザレ[5]イタリア語でシーザーのこと・ボルジアと妹のルクレツィアは数多くの謀殺に関わったとされますが、「邪魔者はけせ」とばかりに次々と毒殺を企てたというところまでの証拠はありません。「ルネサンス」を世に広めた19世紀スイスの歴史家ブルクハルトからはじまり、多くの研究者がボルジアを語るうえで紹介した内容が、一部を誇張し尾ひれもついて伝説のようになったのでしょう。
ネックレス窃盗のトリックには夫人の部屋の構造が関係しているようで、本には部屋の見取り図が掲載されています。


▽イタリア貴族殺害事件The Adventure of the Italian Nobleman
ポアロとヘイスティングズが近所に住むホーカー医師と話していると、ホーカーの家政婦がやって来てイタリア人のフォスカティーニ伯爵から助けを求める電話があったと告げました。すぐさま三人は伯爵のアパートへ向かいます。そこはリージェント・コートという、最新式の設備が整った建物です。 支配人の案内でダイニングに入ったところ、伯爵が書き物机に突っ伏しています。大理石像で後頭部を殴られたようです。ホーカー医師が診断して言うのが”Stone dead”「完全に死んでいる」。石のように冷たく動かないという意味ですね。ダイニングでは伯爵を含めて三人が夕食をとっていた形跡があり、デザートやコーヒーが残っています。このアパートの最新設備とは、最上階のキッチンに料理をオーダーし、それを室内の小型昇降機で運ぶというもの。よく複数階に分かれたレストランで見かけるようなシステムでしょう。その日は三人前の料理が頼まれました。それは”Soup julienne, filet de sole normande, tournedos of beef, and a rice soufflé”「ジュリエンヌ・スープ、舌平目のノルマンディ風、牛フィレのトルネードステーキ、ライス・スフレ」。結構重めですね。ジュリエンヌとはフランス語で千切り。細くスライスしたジャガイモ、ニンジン、タマネギなどを入れたコンソメスープです。ポアロは伯爵の執事兼従僕のグレイヴズから話を聞くと、前日に訪れた二人のイタリア人が今晩も夕食にやって来たのだとか。注文した食事を配膳し、ポルトワインとコーヒーを準備すると、主人にその夜は暇を出されたと言います。当然疑わしいのはイタリア人たち。警察はそのうちのひとりパオロ・アスカニオを逮捕しますが、イタリア大使館の証言により釈放されました。ポアロはアスカニオを呼び出して、殺害の動機に繋がる真実を確かめるのです。彼は会食の状況から不審な要素を発見し、犯行の様子を推理します。

左:ジュリエンヌ・スープ / 右:舌平目のノルマンディ風

▽ヴェールをかけた女The Veiled Lady
ポアロとヘイスティングズは最近発生したボンド・ストリートでの宝石強盗の話をしています。ロンドンのオックスフォード・ストリートとピカデリーを結ぶボンド・ストリートは、18世紀からメイフェアに暮らすお金持ちにとってのショッピングの場所となり、美術品や宝石、アンティーク、高級ブランドの店舗が軒を連ねることで有名です。そのため、現代になっても時おり強盗のニュースを聞くことがあります。
2022年5月、ロンドンに新しく地下鉄エリザベス・ラインの運行が始まりました。クロスレイル・プロジェクトとして1940年代から構想がありながら、実際に工事が始まったのは2009年です。路線の東西は分岐して郊外の住宅地、それにパディントン駅経由でヒースロー空港まで繋がっています。ロンドン中心部でセントラル・ラインと重なるのが、トッテナム・コート・ロード駅とボンド・ストリート駅の区間。でもボンド・ストリート駅はトンネル工事の遅延で他の駅と足並みを揃えることができず、5か月遅れで開業したのです。エリザベス・ラインによって東西の移動が容易になり、郊外から市内への移動時間も短縮されました。今後は郊外地域の開発による莫大な額の経済効果が期待できるとか。
さて話は戻ってそんな日、深々と黒いヴェールを被った若い女性が訪ねてきました。ミリセント・カッスル・ヴォーンと名乗ります。つい先日、サウスシャー公爵と婚約した貧乏なアイルランド貴族の娘です。彼女は、ラヴィントンなる男から、昔書いた手紙をネタに強請られていると言います。手紙は中国製の小箱に入れられて、ラヴィントンの家のどこかに隠されているらしいのです。それを捜し出すことを引き受けたふたりは、夜中に留守中のラヴィントン宅に忍び込みました。またまた違法行為を重ねたうえで首尾よく小箱を手に入れることに成功。手紙をミリセントへ返すのですが…。


▽チョコレートの箱The Chocolate Box
ポアロがかつてまだベルギー警察の捜査隊にいた頃に、たった一度だけ失敗を犯した事件について振り返る物語。その話を聞きながらヘイスティングズが飲んでいるのがトディ。普通はHot toddyホット・トディと呼び、ウィスキーにお湯と蜂蜜、レモン、シナモンなどを加えた、寒い夜に最適な身体が温まるドリンクです。
ポアロがイギリスにくる以前、しかも警察の現場で働いていた頃の話といえばかなり古い話かもしれません。彼は休暇中に自宅へやって来たヴィルジニー・メスナールから、フランスの著名な代議士ポール・デルラールの死について調べてほしいと頼まれました。彼女は当地出身で2年前に亡くなった、デルラールの妻の従妹なのだとか。ポアロは警察の仕事とは別に個人的に捜査を始めます。デルラールの屋敷にはヴィルジニーの他にデルラールの息子と母親、使用人たちが住んでいます。彼が急死したときにはフランス人とイギリス人の友人ふたりも滞在していたようです。デルラール邸がある場所はブリュッセルのAvenue Louiseアヴェニュー・ルイーズ。多分、市内でもっとも有名な大通りで、各国の大使館や有名ブランドの店舗が軒を連ねる高級住宅街といったところ。そこでポアロは順番に話を聞き取り、デルラールは毒殺されたのだろうと考えます。書斎へ行ってみると手つかずのチョコレートの箱が。でもその箱は青いのに蓋がピンク。ちょっと気になります。デルラールは毎日チョコレートを食べる大の甘党だったそうです。ポアロは薬局を訪ねて調べた結果、チョコレートに薬を仕込んでの毒殺に違いないと確信しました。そしてその方法と犯人を探り当てたつもりだったものの…。チョコレートよりも箱が重要です。

左:ブリュッセル市庁舎

ポアロが考える殺害の動機に関わる要素については少々説明が必要かもしれません。デルラールはフランスの反カトリック派のなかでもっとも過激な人物だったとされています。彼の検死を行った医師からは「反キリスト[6]ヨハネの第一の手紙、第二の手紙に記述のある、イエスがキリストであることを否定し人々を惑わす者」のように見えたかもしれないと言われるぐらいです。フランスでは、1905年に政教分離法(ライシテ法)が成立しました。古くは11世紀の聖職叙任権闘争から宗教と政治の対立は繰り返されており、フランスでは革命からナポレオン帝政を経て第三共和政(1870-1940)に至るまで政権と宗教の対立は続きます。1894年に起きたドレフュス事件[7]反ユダヤを象徴する冤罪事件でその後のイスラエル建国の端緒ともなったがその対立に拍車をかけるかたちとなり、結局左派政党が急進し法案成立までこぎつけたのです。一番重要な部分は信教の自由の保障ですが、国や自治体の宗教予算の廃止や聖職者の政治活動の禁止が盛り込まれ、ナポレオン1世時代の協約によるカトリックの保護もなくなりました。当然のことながらカトリック派は黙っていません。各地で大規模な抗議行動が行われたのです。デルラールはそんな時代の政治家だったのでしょう。ポアロはそこに殺された意味があると誤認してしまいました。
単純な見落としから大きな間違いに至ったポアロは猛烈に反省します。そしてこの失態を戒めとするためとして、ヘイスティングズに対し、もし自分の思い上がりが強くなってきたように思ったら「チョコレートの箱」と言ってくれと頼むのでした。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

ポアロ登場 (ハヤカワ文庫) [ アガサ・クリスティ ]
価格:1,034円(税込、送料無料) (2023/8/27時点)



References

References
1 2024年
2 英語ではLocal derby
3 インドの高級ホテルチェーン
4 2023年
5 イタリア語でシーザーのこと
6 ヨハネの第一の手紙、第二の手紙に記述のある、イエスがキリストであることを否定し人々を惑わす者
7 反ユダヤを象徴する冤罪事件でその後のイスラエル建国の端緒ともなった