ポルトガルで首都リスボンに次ぐ第2の都市ポルトPorto(ポルトガル語:Oporto)。この町を有名にしているのはもちろんポルト・ワインVinho do Porto(ヴィーニョ・ド・ポルト)です。ポルトは北部ポルトガルで大西洋に注ぐドウロ川の河口近くに位置します。川の中流から上流の渓谷には丘陵が連なり、ブドウ栽培に適した環境にあるのでポルトガルを代表するワイン産地のひとつです。特にドウロ上流域はアルト・ドウロ・ワイン生産地域Alto Douro Wine Regionとして世界遺産にも登録されています。ここで産出されたワインは、川を下ってポルトの対岸ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアVila Nova de Gaiaへ。川岸にあるポルト・ワイン工場へと運ばれて製品になります。
ポルト・ワインは、同じポルトガルのマデイラ・ワイン、スペインのシェリー、イタリアのマルサラなどと同様に酒精強化ワインFortified Wineです。酒精強化というのは、醸造過程で酒精つまりスピリッツ(たいていはブランデー)を加えることでアルコール度数を上げると同時に、発酵を途中で止めてブドウ糖の甘みをワインに残すという製法のこと。ポルト、マデイラ、シェリー、マルサラはいずれもイギリス(イングランド)人によって製法が確立され、世界へ広められたと言っていいでしょう。アルト・ドウロでのワイン醸造は2,000年以上の歴史があります。でも、もともとつくられていたのはスティルワインのみ。ポルト・ワインが生まれたのはイングランドの人々の手によるのです。
実は、イングランドとポルトガルの間には1386年にウィンザー条約Treaty of Windsorとして批准された、世界最古といわれ、現在も有効な二国間外交同盟があります。度重なる戦争(いわゆる百年戦争)でフランスと対立していたイングランドと、イスラム勢力に対して優勢となり力をつけてきたカスティーリャに対抗したいポルトガルが手を組んだものです。その後両国は交流を深めて関係を強くしていき、スペイン継承戦争[1]1701-1714年、スペイン・ハプスブルク家の王位継承者を巡る戦争のさ中の1703年、新たにメシュエン条約が締結されます。これはポルトガルが低関税でワインやオリーブオイルをイングランドへ輸出することの引き換えに、イングランド産の毛織物や小麦や工業製品を受け入れるというもの。こうしてイングランドは、フランス産ワインの供給が滞った際の代替としてポルトガルワインを大量に仕入れたものの、フランスワインに親しんでいた国民にはなかなか受け入れられず、試行錯誤の末に、ブランデーを加えて樽熟成をおこなう甘く芳醇なポルト・ワインを生み出したのです。
ポルト・ワインは種類が豊富で、赤が主体ではあるものの白やロゼもあります。赤には大きく分けてふたつあり、ひとつは短い期間樽熟成をおこなう濃い赤色のルビーRuby、もうひとつは長期間熟成した黄褐色のトーニTawnyです。
ルビーは若くて力強く、ベリー系の香りとフルーティな味わいがあります。ルビーの中でも品質の良い深い色と強い芳香のあるものがリザーヴReserve、4年から6年の熟成をおこなうのがレイト・ボトルド・ヴィンテージLate Bottled Vintage(LBV)、そしてもっとも価値があるものはヴィンテージVintageです。ヴィンテージは、通常2年から3年の短期間で樽熟成を終えて、濾過をせずに瓶詰めされ引き続き熟成されます。その期間は最低でも15年、100年の貯蔵に耐えるものもあるそうです。ヴィンテージは大量の澱(おり)が生じるので、抜栓する際は沈殿物を混ぜないように慎重におこない、デキャントしたうえで提供します。リスボンのお店で聞いた話では、薄手の布を使って漉しながらデキャンタへ移し替えるとか。
トーニのほうは長く貯蔵するので、キャラメルやナッツの香ばしさと甘みやスパイスの香りが特徴。10年以上樽熟成させた単一年度のワインがコルヘイタColheita、そしてそれぞれ平均熟成10年以上、20年以上、30年以上、40年以上のワインをブレンドしたものがあります。
ポルト・ワインはアルコール度数も高くて味も濃いので、普通のワイングラスより小さい専用のグラスで提供されます。一杯の目安は3オンス(約85ml)です。
ちなみに、テレビドラマ・刑事コロンボの「別れのワイン」”Any Old Port in a Storm”[2]有名なアメリカのポップミュージックのタイトルとポルト・ワインをかけている(1974年日本初放送)で、事件解決のカギになるワインはポルト・ワインでした。フェレイラFerreiraのヴィンテージ1945年。フェレイラは1751年創業の老舗です。19世紀に家業を引き継いだアントニア・フェレイラAntónia Adelaide Ferreiraは、フィロキセラ[3]ブドウネアブラムシ、北米から持ち込んだブドウにより混入しヨーロッパのほとんどのブドウが枯死によって全滅したブドウの復活に尽力し、事業を立て直して拡大しました。さらにドウロ地方のワイン産業への大きな貢献や福祉活動などにより、ポルトガルでは著名な実業家のひとりです。フェレイラからは彼女の肖像を配したドナ・アントニアDona Antónia[4]ドナは女性の尊称というワインが発売されています。余談になりますが、英語でany port in a stormとは、嵐の時にはどこでも手近な港に避難するということから、「窮余の策」とか「わらをもすがる」の意味です。