ラムはサトウキビを主原料とする蒸留酒です。カリブ海地域の特産として知られていますが、もともとこの辺りではサトウキビは自生しておらず、コロンブスによって持ち込まれたカナリア諸島産のサトウキビがはじまりとされます。この土地の風土に合致したことで根付いたのでしょう。サトウキビはイネ科の植物で、温暖な気候を好むことから、日本でも四国、九州、沖縄で生産が盛んです。
16世紀以降、カリブ海の島々ではサトウキビの大規模プランテーションが次々に建設され、砂糖の製造が拡大していきました。同時に、砂糖精製の副産物として出る糖蜜molasses(モラスィーズ)を用いた蒸留酒づくりもはじまったのです。17~18世紀に行われた悪名高き三角貿易は、主にヨーロッパの武器や工業製品が西アフリカへ送られ、そこから運ばれた黒人奴隷が西インド諸島やアメリカでの労働力になって、生み出された砂糖やタバコや綿花などの産物を積み込みヨーロッパへという循環でした。そしてそこに当時イギリス領だったアメリカ北東部のニューイングランド[1]現在のメイン、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネティカットの6州が加わります。西インド諸島のプランテーションで購入した糖蜜をニューイングランドに持ち帰りラム酒を製造し、アフリカでラム酒と奴隷を交換するという仕組みを作ったのです。当然のことながら、ヨーロッパと比較すると西インド諸島との距離は短いため、1回のサイクルが早くなり、より多くの利益を生みました。さらにアメリカ産のラムはイギリスでも好まれたためニューイングランドには多くの蒸留所が作られることになります。結局、19世紀になると奴隷貿易の禁止、奴隷制度の廃止により三角貿易は終わりを告げ、またアメリカではウィスキーの台頭でラムづくりも廃れていきました。
それでも近年、再びラムが見直されて、ニューイングランドに新たな蒸留所がいくつもできているそうです。
ラムには様々な種類があります。無色透明で風味も薄いホワイト・ラムは、ライト、シルバーとも呼ばれ、モヒートやダイキリといったカクテルのベースとして人気です。木樽で熟成させるために琥珀色になるのがゴールド・ラム。ホワイトよりもコクがありミディアムタイプと呼ばれます。さらに濃厚なのがダーク・ラムです。カラメル状にした糖蜜を使うので味も色も濃くなります。料理やお菓子づくりに使われることが多い種類です。
ロンドン中心部のナショナルギャラリー前にあるトラファルガー広場Trafalgar Squareには、四頭のライオン像[2]銀座三越のエントランスにあるライオン像はこのレプリカに囲まれた高い柱が立っています。その上でフランスの方角を見つめているのがイギリス海軍の勇猛果敢な提督としてその名を残すハレイシオ・ネルソンHoratio Nelsonです。1805年にスペインのトラファルガル岬沖でナポレオン・ボナパルト率いるフランスとスペインの連合艦隊を撃破した「トラファルガーの海戦」の功績を称えるためにこの広場と像ができました。ネルソンは、1798年のアブキールの海戦に続けてフランス海軍を破り、ナポレオンのイギリス上陸を阻止したことからイギリスの歴史上でも筆頭格の英雄です。そのネルソンとラムは切り離せません。
グリニッジにある国立海事博物館の資料と英領ヴァージン諸島にあるパサーズ・ラム社のウェブサイトによると、イギリス海軍では、水兵たちにビールを配給する習慣がありました。しかし、ビールは腐りやすかったこともあり、当時、大量に輸入されて入手しやすくなったラムに切り替わります。樽詰めのラムを船に積み、毎日配るのはパーサーpurserの役目。そのラムはパーサーが訛ってパサーズ・ラムPusser’s Rumと呼ばれました。アルコール度数の高いラムを飲み続けていた水兵は使い物にならない状態になってしまい、見るに見かねたヴァーノン提督が1740年にラムは水割りにして飲むようお触れを出します。水兵からは不評で、ラムの水割り[3]パサーズ・ラム社によれば、ただの水割りでなく、水とライムジュースとブラウンシュガーで作られた世界最初のカクテルだったとかにヴァーノンのあだ名であるグロッグGrog[4]グログランというシルクとウールの混紡生地でできた上着を着ていたためと名付けました。これが温かいラムのカクテルであるグロッグの由来です。さて、ネルソンの艦隊が出撃したときにもたくさんのダーク・ラムの樽が積まれていました。トラファルガーの海戦では、後にネルソン・タッチThe Nelson Touchと呼ばれる戦術[5]敵の艦隊の中央へ2列縦隊で突入し、分断した敵の半分を集中的に攻撃する方法でイギリス側の大勝利となります。ところが、先頭で指揮していたネルソン自身が敵の銃弾によって命を落とすこととなりました。彼の遺体は本国へ戻るまでの間、腐敗を避けるためにラムの入った樽に入れられたのです。このことから、イギリスではダーク・ラムは”Nelson’s Blood”「ネルソンの血」と呼ばれます。
おそらく世界で最も有名なラムのブランドと言えばコウモリ印のバカルディBacardiでしょう。スペインから移住したドン・ファクンド・バカルディ・マッソによって、キューバで1862年に設立された会社です。蒸留所の屋根の垂木にオオコウモリの群れがぶら下がっているのを見たファクンドの妻が、それはキューバのタイノ族にとって健康と家族の団結と幸運のシンボルであるとして、会社のマークにするよう進言したとのこと。バカルディはキューバ革命後にバーミュダ諸島へ移転しました。現在は多数の酒造会社を傘下に持つ大企業です。
世界各地にラム同様にサトウキビや糖蜜を原料にした蒸留酒があります。ポルトガルにはいろいろな果物や野菜の蒸留酒アグアルデンテAguardenteがあり、マデイラではサトウキビでアグアルデンテ・デ・カナAguardente de canaをつくっていました。16世紀に砂糖生産の主力がブラジルへ変わると同時に、サトウキビ酒の製造も移管することになり、カシャーサCachaçaの名で流通されるようになります。カシャーサはピンガとも呼ばれ、これを使った定番カクテルのカイピリーニャCaipirinha[6]基本はカシャーサにライムと砂糖を混ぜるはブラジル料理との相性も抜群です。
オランダ領東インド時代のジャワ島では、17世紀から糖蜜と米を原料とする蒸留酒バタヴィア・アラックBatavia Arrackがつくられ、オランダは本国で熟成、ブレンドしてヨーロッパで販売しました。18世紀になるとスウェーデン東インド会社もジャワからアラックを輸入。スウェーデンでは一躍人気のお酒になったのです。インドネシアのバタヴィア・アラックは現在も製造販売がされています。