ベルギーの首都ブリュッセルの東30㎞ほどのところに位置する町ルーヴェン(オランダ語:Leuven / フランス語:Louvainルーヴァン)は、ブリュッセルを囲むようなかたちのフラームス・ブラバント州の州都です。ベルギーは、1839年にオランダ(ネーデルラント連合王国)からの独立を果たしました。しかし、その後現在に至っても解決されていないのが言語問題です。ベルギーの公用語は、オランダ語とフランス語とドイツ語の三つ。でも実際にベルギーで話されているオランダ語はフラマン語Vlaamsと呼びます。かつての私のオランダ語の先生曰く「80%ぐらいはオランダ語と一緒でお互いに話は通じるけど発音や単語やアクセントで違いがある」とのことで、オランダ語の方言ぐらいの位置づけかもしれません。ちなみに南アフリカ共和国の公用語のひとつアフリカーンスもオランダ語から生まれた方言という位置づけです。
ベルギーの国土のほぼ真ん中あたりを東西に言語境界線が走っており、行政区分も北部のフラマン語圏がフランデレン地域、南部のフランス語および狭いドイツ語圏を含めたワロン地域、それにフラマン、フランス両言語併用のブリュッセル首都圏地域に分かれています。話す言葉が違うのはベルギーが複雑な歴史を辿ってきた証拠です。
ルーヴェンはベルギーの深刻な言語問題の象徴的な場所と言っていいでしょう。その舞台は1425年創立のルーヴェン・カトリック大学Katholieke Universiteit Leuven(KU Leuven)でした。オランダ最古のレイデン(ライデン)大学Universiteit Leidenが出来たのが1575年ですから、それと比較しても由緒ある大学といえます。独立後のベルギーでは、フランス語だけが公用語とされ、政治的にもワロン側が主導でした。それを不服としていたフラマン側は対等の言語使用を求めて運動を展開し、20世紀に入りそれが法律で認められます。その後もフランデレンの政治運動は激しさを増し、第二次世界大戦後には経済や文化の領域にも拡大することになりました。1960年代に入ると地域言語主義に基づく言語法が制定されるものの両者の対立はさらに激化し、ルーヴェン大学が巻き込まれていくのです。もともとこの大学ではフランス語のみで講義が行われていましたが、第一次大戦後にオランダ語も加わり両言語での教育が始まりました。言語闘争が広がると、1962年には大学の運営は両言語のそれぞれの組織に分かれて自主的に行われることになってしまい、理事会も分裂、政府も解決策を出せない状況に陥ります。やがてフランス語大学のワロン地域への移転が叫ばれるようになっていき、1967年11月のアントウェルペン(アントワープ)でのデモを皮切りに、Walen Buiten(ワロンは出ていけ)の横断幕を掲げたフランデレンの学生たちが活動を先鋭化。折しも周辺諸国では学生紛争の嵐が吹き荒れる状態にあり、ベルギーでも大学の占拠、警官隊との衝突という事態に至ります。最終的に政府はフランス語ルーヴェン大学の移転を決意し、資金の財政支出を発表しました。こうして、ワロン側の町オッティニーOttignies[1]ブリュッセルの南東約30㎞ ルーヴェンからもほぼ30㎞にルーヴァン・ラ・ヌーヴLouvain-la-Neuveという名の新しい学園都市が建設され、フランス語のルーヴァン・カトリック大学l’Université catholique de Louvain(UCL)が生まれたのです。歴史と伝統のある大学に関連したこの一連の騒動は、カトリック信者の多いベルギー人にとって大きな衝撃となりました。そして現在に至っても、言語闘争の解決は甚だ困難な様相であることに変わりありません。
ちなみにルーヴァン・ラ・ヌーヴにはタンタンの冒険Les Aventures de Tintinの作者エルジェの博物館Musée Hergéがあります。
ベルギーから連想されるのは、小国でありながらEUやNATOなどの国際機関があって、チョコレートとワッフルとビールがおいしい豊かで華やかなイメージです。しかしながら、ベルギーでは言語問題が影を落とし、ひとつの国家の中であっても、地域言語主義によって大学だけでなくすべての教育はそれぞれの言語のみで行われます。新聞やテレビ、ラジオといったメディアも両言語で存在するわけです。外国映画には2ヶ国語の字幕が付いて邪魔だと聞きました。
ベルギーには上述の3つの行政地域と重なるように3つの言語共同体があります。フラマン語共同体はフランデレン地域とブリュッセル、フランス語共同体はワロン地域の大半とブリュッセル、そしてワロン地域の東北部がドイツ語共同体です。この3つの共同体とフラマン語、フランス語の両方に属するブリュッセル首都圏の4つがそれぞれ国民の祝日とは別の共同体の祝日を持っています。ブリュッセルは第二次世界大戦でナチス・ドイツに勝利した5月8日、ドイツ語共同体は独立後最初の国王レオポルド1世にちなみ聖レオポルドの日である11月15日、フランス語共同体は1830年のベルギー革命でオランダ軍が撤退をした9月27日です。これに対してフラマン語共同体の祝日は7月11日。1302年にコルトレイクKortrijk [2]ブリュッセルの西約90㎞で、フランデレンを併合しようと目論んで攻め込んだフィリップ4世のフランス軍を撃破した日です。戦死したフランス騎士の金の拍車が数多く残され、それはコルトレイクの聖母教会に飾られました。そのため金拍車Guldensporenの日と呼ばれます。ワロン地域の人にしてみるとこの祝日は愉快ではないですよね。
分離独立ではなく平和的な共存の道を目指してほしいところです。