最初は中学2年生の時。1学期の中間テストが終わった日の午後、同級生Wに誘われて一緒に行きました。彼には映画好きの兄がいて、その影響で映画鑑賞が趣味になったそうです。それまで映画はロードショウ館でしか観たことがなく、これが生涯ではじめて訪れたいわゆる名画座。なので鮮明に覚えています。東急名画座は渋谷の東急文化会館[1]現在の渋谷ヒカリエの場所の6階にありました。名画座の持つ場末感漂うイメージとは少々違って明るくきれいなつくりです。多くの名画座が2本立てや3本立てで上映する中、ここは1本のみ。料金は、ロードショウが大人800円の時代に200円均一。その時に観たのが「明日に向かって撃て!」”Butch Cassidy and the Sundance Kid”[2] ジョージ・ロイ・ヒル監督 日本初公開は1970年 ロバート・レッドフォードの出世作でした。
何の知識も情報もなく連れて行かれるまま映画館に入ると、待合室には次の上映を待つ人たちのタバコの煙がモクモク。でも客席は小さいながらも想像以上に心地よく感じます。そして映画が始まれば、そこは何と言っても見どころが満載の西部劇の名作です。画面の中に引きずり込まれるようにして楽しい気分で最後まで。お札がひらひらと舞うところや「雨にぬれても」の自転車や追い詰められた崖の場面も印象的でいいですね。でも個人的なお気に入りは、”Can I Move?” のシーン。ちなみにレッドフォードはこの映画の出演料でユタ州のソルトレークシティーSalt Lake City近郊に土地を購入。役名のサンダンスと名付けたマウンテンリゾートを開発し[3]2020年売却、映画祭の開催にも尽力しました。
ストップモーションで本編が終わりエンドロールが流れ出すと、Wは「もう一度観ない?」と聞いてきました。「同じ映画を二度も観るのか?なんで?」と思いながら付き合うことに。いつもそうするのだとか。すると、さっき観たばかりなのに覚えていないシーンがあります。おそらく字幕を追うのに懸命でちゃんと見えてなかったのでしょう。それと、いくつかですが、英語が聞き取れたこと。さすがに2本立てや3本立てでこれをやるのは、甚だ長時間の苦役となるわけで、1本上映だからできる技ということかもしれません。
ここでは、ロードショウ館と同様に本編の前に次回上映作品の予告編を流します。その日は「ダーティ・ハリー」”Dirty Harry” [4]ドン・シーゲル監督 日本初公開1972年 クリント・イーストウッドの代表作でした。なんか面白そう…。Wはあまりお好みではなかったようなので、次の日曜日にはひとりで観にいきました。もちろん2回続けて鑑賞。この作品でスイッチが入った感じで、それ以来映画漬けの日々に向かっていくのです。
私にとっては渋谷東急文化会館そのものがとっても身近な存在です。小学生のころまでは五島プラネタリウム[5]8階ぐらいしか行ったことがありませんでしたが、中学時代に映画を覚えると頻繁に訪れることに。当時は地下1階が主にB級映画の封切館で東急レックス、1階が日本で2番目に客席数が多かった[6]1位は同じ東急系列の新宿ミラノ座渋谷パンテオン、5階にはやはりロードショウ館の渋谷東急、それに東急名画座でした。ついでによく寄ったのが三省堂書店[7]5階、ここまでは上りのみエスカレーターがありました。辞書や受験用の参考書、問題集が充実していました。
高校時代は通学路です。下校時には、東邦生命ビル[8]現在の渋谷クロスタワーから文化会館の横の入口に入って、ユーハイム[9]バームクーヘン売り場と喫茶店とパンテオンの間を通りエスカレーターで2階へ。そこから渋谷駅への通路へ出るというのがお決まりのコース。
1階にあったスコッチパブ・バグパイプでは2年ぐらいアルバイトを経験しました。10種類ほどのスコッチウィスキー[10]White Horse/Cutty Sark/Ballantine’s/Haig/100 Pipers/J & B/Chivas Regalなどの中からボトルキープをしてもらい、おしゃれな料理とピアノの生演奏で楽しんでもらうというお店です。人気のおつまみのひとつが、ガーリックバターを詰めてオーブンで焼くブルゴーニュ風エスカルゴ(Escargots à la Bourguignonne)。本格的です。ここで出会った方々からは、お酒と料理に関する数多の知識と技術を授けられました。夜、閉店すると店の施錠をして、通用口からパンテオンの中を通り守衛室でカギを預けて帰るというルート。無人のパンテオンの客席内を足早に横切るのは毎度不思議な感覚でした。
パンテオンや渋谷東急では観客動員が見込める話題作ともなると、初日前日にオールナイト上映を実施。そのために夕方から入場待ちの長蛇の列ができます。アルバイトは総出で行列の人たち向けにソフトドリンクを売りに行ったものです。何はともあれ、ここのバイトでうれしかったのは、毎月、文化会館内の映画館の招待券が手に入ることでした。