作品を読み始めた中学時代には、松本清張といえばすでに大家となっていて、映画やドラマで目にすることもよくありました。最初は母の書架にあったカッパノベルス版の「点と線」。そこから家にあるものを読み尽くすと、図書館へ通って手当たり次第に借りては読み、特に推理小説の範疇に入る作品はあらかた読破したでしょう。綿密な人物描写や予想を超える展開もあり、地道な捜査が空振りに終わることもあれば、大胆な推理が的中することもあるなど読む人を飽きさせない楽しい本が多いと思います。よく社会派ミステリー作家のようにいわれるものの、実際はなんでもござれのエンターテインメント作家と言っていいかもしれません。それだけ才能が溢れているという意味です。当然のことながら、有名な作品は数多の方々が紹介していることもあり、今さら付け加えることなどないでしょう。ここでは私的視点でいくつか好きなものを並べさせていただきます。※( )内は単行本として最初に刊行された年度です。
●時間の習俗(1962年)
「点と線」(1958年)で協力して事件を解決する警視庁の三原警部補と福岡県警の鳥飼刑事が再登場するお話です。「点と線」の場合と同じで旅行雑誌「旅[1]2012年休刊」に連載されていました。だからこのコンビが成立したのでしょうし、やはり時刻表が大事な要素になっていることも共通します。
本州と九州を繋ぐ、関門橋[2]1968年着工、1973年開通の足元の九州最北端にある和布刈神社(めかりじんじゃ)。そこで毎年、旧暦の正月に恒例としておこなわれる神事から物語ははじまります。その前夜、神奈川は相模湖畔のホテルで発生した交通業界紙編集人の殺人事件。犯人と目星を付けたのは大手タクシー会社極光交通の専務である峰岡周一です。探っていくと怪しい点が多々。けれども、彼には相模湖で殺人を犯していたら絶対に間に合うはずのない時間に、福岡で和布刈神事を見物していたというアリバイがあります。その様子を撮影した写真が何よりの証拠です。完全なアリバイを崩すために、三原と鳥飼がふたたび連携して捜査にあたることになりました。殺人現場から逃げた女の行方は?。峰岡が西鉄営業所の定期券売り場にいたのはなぜ?。神事を撮ったカメラやフィルムに仕掛けはあるのか?。二人は様々な仮説を立てて調べを進めていくものの、なかなかうまく繋がりません。相当に手の込んだアリバイ工作のためのトリックが使われていて、「点と線」よりもよくできていると思います。
和布刈神社があるのは清張にとっては地元と言っていい北九州市です。小説の冒頭から、この霊験あらたかな、弥生時代創建と伝えられる和布刈神事の場面をつぶさに表現しています。それは、旧暦元旦の早朝、干潮時におこなわれることになっていて、神職が境内から海への石段を下り、裾をからげて冷たい水につかりながらワカメとアラメを刈り取る祭事。かつては朝廷などにも献上されたとか。もともとは見たら目がつぶれるとまで言われた拝観お断りの秘儀とされていましたが、戦後になって公開が始まったそうです。ちなみにワカメ(和布、学名:Undaria pinnatifida)はチガイソ科ワカメ属、アラメ(荒布、学名: Eisenia bicyclis)はコンブ科アラメ属。似ている海藻でも分類上は別科です。ワカメは全国的に流通していてお馴染みでしょう。でもアラメは収穫に地域差もあり知らない人も多いかもしれません。
この本を読んだ時からずっと和布刈神社が気になっていて、いずれ訪問したいものだと思っていました。高校受験を控えていた息子と、ふたりで太宰府天満宮へ合格祈願のお参りに行った際に、足を延ばして遂に立ち寄ることが叶ったのです。その前にこの本を読み返してみて、鳥飼重太郎が「52歳の老刑事」と形容されているのに気づきました。すでに自分がその年齢を越していたこともあり、当時は52歳で老人扱いだったのかと改めて時代を感じた次第です。
いずれ神事の際に再訪できたらうれしいなあ。
●神と野獣の日(1963年)
清張には珍しいSFに属する作品です。おそらく他にないのではないでしょうか。中学生の時に、国語の先生に薦められて読んでみました。70年代の当時は東西冷戦の真っただ中。アメリカ、西欧の資本主義、自由主義国家と、対立するソ連、東欧の社会主義、共産主義国家という構図です。連日のように目や耳にするニュースで、一触即発の緊迫した情勢が目の前にある状況でした。本作が刊行される前年の1962年は「キューバ危機[3]ソ連がキューバに核ミサイルを配備しようとしたことに対抗してアメリカがキューバの海上封鎖を行い、核戦争に発展する恐れが生じた」が世界を揺るがしました。この小説は、まさにそんな危急存亡の恐れを感じる時代への警告と風刺が入り混じったものだったと思います。
早春のある日、2万キロ離れたZ国から5メガトン級の核弾頭を搭載した5発のミサイルが、誤射されて日本に向かっているという情報が総理大臣にもたらされました。残り時間は僅かしかありません。メガトンというのは核出力の単位で、1メガトンは1キロトンの1,000倍。太平洋戦争で広島に投下された原子爆弾が16キロトン、長崎が22キロトンだったそうなので、5メガトンx5発の破壊力など想像することもできないほど凄まじいものでしょう。
かつてない深刻な危機に直面することになり、追い詰められて右往左往する政府首脳たちを中心に、悲喜こもごものドラマが展開していくというお話です。現実に起こりえることかもしれないという漠然とした恐怖もあり、自分だったらこの場面で一体何をするんだろうと考えながらページをめくっていたことを覚えています。ともすれば今の世界だってそんな懸念がないともいえません。東西冷戦時代には、まだ核保有国が限定されていたので、アメリカとソ連の二大国による軍拡、軍縮を巡る駆け引きが焦点でした。ところが、現在までに核開発あるいはその疑惑のある国は増え続けているわけですから、世界の終末を危惧する声も多いのでしょう。
●Dの複合(1968年)
伝説、民話の世界、連続殺人事件とその鍵を握るかもしれない謎の女性という組み合わせ。売れない作家の伊瀬忠隆に出版社から舞い込んだのは、月刊雑誌「草枕」への連載依頼です。彼は、「僻地に伝説をさぐる旅」というテーマの、紀行文と随筆を混ぜたような読み物を執筆するために、編集者の浜中三夫と取材旅行へでかけます。まずは浦島太郎伝説を調べに丹後半島の木津温泉(きつおんせん)[4]地元の観光協会の資料では京都府で最も古い温泉地を訪ねました。そこで遭遇したのは山林に殺人事件の死体を捜索する警察官たちの姿。浜中はその事件に興味をそそられた様子です。次に向かった明石の人丸神社[5]柿本人麻呂ゆかりの神社で出会った和服の美人。伊瀬にはその若い女性が強く印象に残ります。連載二回目の題材は羽衣伝説。三保の松原と京都の取材旅行でした。それからしばらく経ったある日、突然、伊勢の自宅を訪ねて来たのは件の若い女です。彼女は坂口みま子と名乗りました。みま子は伊瀬の取材旅行の移動距離を瞬時に計算するなど数字に執着する奇妙な人物。「350」とは、「小野小町がいない」とはどんな意味なのでしょう。ちなみに、清張の作品では「数の風景」(1987年)にも同じような何でも計算してしまう美女が登場します。
その後も奇妙な出来事に見舞われた伊瀬は、浜中とともに小さな手掛かりから調査を進めていくことに。途中までは何がどう繋がるのかが判然としないまま、網走や館山など日本の各地を巡り歩く展開です。やがて複雑に絡んだ糸がひとつになり、一気に解決していくところはスピード感があります。伝説に関しての詳細な描写もそうですが、その土地その土地の情景が上手に叙述されていて、きっと丁寧な取材をおこなったのだろうということがよくわかりますね。重なり合うDというのが謎解きの手掛かりとなるものです。
この作品は1993年にテレビドラマとして放送されました。野村宏伸(浜中)と津川雅彦(伊瀬)の主演。みま子役の森口瑤子も良かったです。でも原作では描写の少ない、伊瀬の女房役で登場するいしだあゆみが場違いに明るくインパクトがあった気がします。
●鴎外の婢(1970年)
清張の森鴎外にまつわるものでは、芥川賞受賞作の「或る『小倉日記』伝」が有名ですが、この作品も題名どおりに一応は鴎外に関連するお話です。婢(ひ)は訓読みでは「はしため」。かつて律令時代の身分制度で「奴婢」というものがありました。奴は男の、婢は女の奴隷です。つまり婢は奴隷や召使いなどの身分の低い女性を意味します。ここでは森鴎外の家の女中のことです。
冒頭に「鴎外の婢」関係図なる、小倉から添田[6]1985年に廃線となった旧国鉄添田線の終点辺りまでの福岡県北東部の地図が掲載されています。この地図からはどんな物語になるのかは不明です。
主に明治、大正の「文豪」といわれる作家を中心に日本文学史を研究する浜村幸平は、雑誌R編集者の寺尾との打ち合わせで、森鴎外の女中に関して書いてみることになりました。彼は、エリート軍医だった鴎外が左遷されて[7]1899年(明治32年)から1902年(明治35年)まで住んだ小倉時代の生活を書いている「小倉日記」や自身の集めた資料から、女中のひとり木村モトに強い興味を抱きます。そして実際に現地へ赴き、小倉から彼女の足取りを探りはじめるのです。すると古本屋で「小倉日記」の中で目にした「神代帝都孝」という本を見つけ手に入れました。郷土史に関心はなくても調査に関連しているとの思いで拾い読みをします。そしてモトの足跡を追い、さらには彼女の娘や孫の消息を辿ることとなって物語は徐々に進行。ところが、お話が進んでいくにつれてどんどんと女中モトから別の方向へ向かって行くような。気が付くとまるでかけ離れた古代史の世界へと変容しています。そして、最後はあっと驚く事件へと発展していくことに…。ここまでの転変はなかなか予測ができるものではなく、ある意味、鴎外と古代史という清張の強い思い入れが詰まった面白い小説だと思います。しかし、奇想天外であるがゆえに異色作と言っても過言ではないでしょうし、賛否両論ありの作品であることも間違いないかもしれません。単行本では本作と一緒に収録されている「書道教授」も、短いながらよく練られたプロットは展開が楽しく、何度もテレビドラマになっていますね。
ところで、森鴎外が医学を学ぶためにドイツへ留学していたことはよく知られています。1884年からライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘンと滞在し、最後に暮らした場所がベルリンです。ベルリン中心地近くの鴎外が住んでいた建物は、”Mori-Ōgai-Gedenkstätte”「森鴎外記念館」として鴎外の作品とベルリンとの関係の展示がされています。実はここは旧東ベルリンにあり、壁によって町が東西に分断されていた時代には結構行きにくい場所でした。東ベルリンのシェーネフェルト空港(SXF)には西側からのフライトが少なかったともあります。西ベルリンからだとSバーン(近郊電車)のベルリン市線に乗って東ベルリンのフリードリッヒシュトラーセ駅まで行くのが唯一の方法でした。この駅が東ドイツの出入国管理をする場所のひとつ。迷路のような通路を進んでピリピリとした緊張感に包まれながら、入国審査と税関検査を受けます。不愛想な係員がひとりずつ確認するので時間がかかるのですが、実は出国の方がさらに大変でした。電車の場合も、車両ごとに自動小銃を抱えた人民警察が入って来て、隠れて乗り込んでいる人物がいないかチェックしていたのを思い出します。東ドイツに入国して駅の外に出ると、そこは西と比較したら明らかに殺風景でなんとも侘しい町並みです。喧騒とは無縁の静かな通りを歩いていると、どこかで泣いている美少女を見かけるかも、などと思ったりしました。
●聖獣配列(1986年)
銀座の高級クラブ「シルバー」のママ、中上可南子が主人公。彼女はかつて、外国人客の多いキャバレー「トロピカーナ」に勤めていた頃、当時はアメリカ上院議員だったジェームス・バートンと関係がありました。いまやバートンはアメリカ合衆国大統領となり、近々来日する予定です。そんなある日、可南子はクラブの常連で国会議員秘書の倉田から、大統領が彼女に会いたがっているとききます。そして、可南子は大統領秘書官アーサー・ジェフスンの計らいで秘密裏に白金の迎賓館へ。そこで彼女は、バートンとの再会を果たしました。未明に目を覚ました彼女は、寝室にバートンがいないので、大統領のプライベートな様子を写そうと持ち込んだ小型カメラを携えて部屋を出ます。すると偶然にも大統領と磯部首相の姿を目撃。その現場を撮影しました。予定にない首脳会談は極秘に違いありません。可南子は、寝室の屑籠にフィルムの空箱を残してきてしまったことから、自分の行動が疑われて追及を受けるのではと怯えます。それでも、うまく立ち回って大統領から今後の身の上を保証してもらえるような状況に持ち込みたいと画策するのです。しかし、マンションの自室は空き巣に入られ、ハンドバッグをひったくられたりと確実に狙われていることを実感します。彼女は大統領と連絡を取ろうと手紙を書きますが、秘書からは冷たい内容の返信が。直談判を求めて、訪欧する大統領を追ってロンドンへと向かうのでした。
ここからは、国家機密の証拠を利用して成り上がろうとする可南子の変転と、ヨーロッパ各地を舞台とした国際的謀略が同時に進行していく物語です。不正な情報をもとに手に入れた大金を使い、上手に泳ぎ回っては目論見通りに進んでいると思いきや、というあたりは清張作品によくある展開で、「告訴せず」や「黒革の手帳」などにも通じます。この作品が出版されたのは、日本中の関心を集めたロッキード事件がまだ記憶に新しいころでした。ですから、こんなこともきっとどこかで起きているような話だ、などと思いながら読んだ記憶があります。ついでですが、ちょうどこの本が刊行された年に小佐野賢治が亡くなりました。
作中、バートン大統領がロンドンで逗留するホテルがクラリッジズClaridge’s。日本国大使館もある、ロンドン中心部のメイフェア地区に位置するラグジュアリー・ホテルです。残念ながら宿泊したことはありませんが、勤務していた会社のロンドン本社がすぐ近くだったことから、何度か訪問したことがあります。アルフレッド・ヒッチコックの常宿だったと聞いていて気になっていたものの、ドアマンの立つ小さな正面玄関からは、仕事の用事などがなければ気軽に入ることができる雰囲気でもありませんでした。イギリスで美食ブームが興った当時に、ゴードン・ラムジーが出店[8]2013年閉鎖したというので大きな話題になったことを覚えています。一方、大統領の側近ジェフスン秘書官が宿泊していたロイヤル・ランカスターRoyal Lancasterがあるのはパディントン地区。ハイドパークを見下ろし、400以上の部屋を抱える大型中級ホテルです。当時の社長宅の目と鼻の先という立地だったためよく訪れました。聞いた話では数年前に8,000万ポンド[9]およそ150億円ほどをかけて全面改装を行い、デラックスホテルの仲間入りをしたとか。加えて、ローズクラウンとパークという名のホテルが出てきます。ありそうなホテル名ですが、小生は聞いたことがなく、恐らく創作でしょう。
数年前に迎賓館赤坂離宮の見学に行ったことがあります。ここは当初、東宮御所[10]皇太子の御所だったところです。大規模な改修を経て、ロッキード事件のもうひとりの主役である田中角栄が首相だった1974年に迎賓館となりました。つまり本書が刊行された時点では、すでに迎賓館は白金から赤坂へ移っていたことになります。白金迎賓館のあった場所は、現在では東京都庭園美術館です。
赤坂離宮は、外国からの賓客をもてなす場所なので建物も庭園も素晴らしいと思います。しかし、本館の内部はヨーロッパの宮殿を模した装飾、調度で統一されているものの、とても一級品とは言い難く、中央ヨーロッパの地方都市の小さなお城に来たみたいな感じです。ここに「本場の」欧米の首脳をお招きしているのだと思うと少々うら悲しい気分になりました。でも、和風別館「游心亭」の方は、日本人にはお馴染みの純日本を意識した趣のある家屋に日本庭園です。海外の方には喜ばれているでしょう。
傑作と言われている作品の多くは繰り返し映画やテレビドラマになってきました。でもその中には、「砂の器」や「眼の壁」といった今では原作に沿った映像化が困難なもの、「ゼロの焦点」、「点と線」、「球形の荒野」など現代に置き換えたら成り立たたないものもあります。書かれた当時の世相を想像しながら読んでみるのもいいでしょう。