聖ゲオルギウス

聖ゲオルギウス(英語:Saint George)というキリスト教の聖人をご存じでしょうか。ヨーロッパでは古くから数多くの絵画や彫刻の題材として扱われ、その多くは白馬に跨った騎士が長い槍で怪物を突いている姿で描かれます。これは「聖ゲオルギウスのドラゴン退治」として、カトリックだけでなく東方正教の世界でも広く知られている逸話です。中世には騎士道精神にもつながる信奉の対象となり、重要な聖人のひとりとして崇敬されるようになりました。3世紀、カッパドキアで誕生したと言われるゲオルギウスは、ローマの軍人としてプラエトリアーニ[1]ローマ皇帝の親衛隊に所属して、のちに護民官[2]平民を保護するための役人にまでなったとか。ディオクレティアヌス帝[3]在位284-305のキリスト教徒迫害に遭ったものの、最後まで信仰を貫いて改宗せず、パレスチナのリダLydda(現在はイスラエルのロド)で303年に殉教したそうです。
ドラゴン退治の物語の舞台となったのは、リビアのシレネSilene/Syleneという場所とされます。しかし、それが実際にはどこなのかが明確ではありません。古代ギリシャの植民市として建設されてローマの属州時代に栄え、いまもユネスコの世界遺産に登録された壮大な遺跡が残るキュレネCyreneではないかと言われています。この地には人を殺してしまう毒を吐くドラゴンが棲んでいました。人々は毒を吐かなくさせるために生贄として羊を差し出していましたが、やがて羊は食べ尽くされてしまい、代わりに籤引きで選ばれた人が捧げられることになります。そして運悪く籤に当たってしまった王女。王の懇願も空しく王女はドラゴンのもとへ。そこに通りかかったゲオルギウスは事情を知るやドラゴンに立ち向かい、得意の槍で撃ち倒したのでした。こうしてドラゴンの脅威から解放された人々は、ゲオルギウスの導きでキリスト教に改宗したそうです。

左:モスクワ / 中:ブラチスラヴァ(スロヴァキア) / 右:リヴィウ(ウクライナ)

人々を苦しめる怪物を退治するというお話は古今東西、数多く見られます。実際にゲオルギウスのお話も、ギリシャ神話の英雄ペルセウスが海の怪物を倒して王女アンドロメダを救う物語からつながっているようにも。
日本では「ヤマタノオロチ」をはじめ「桃太郎」や「一寸法師」の鬼退治、源頼政の鵺(ぬえ)退治などの有名なものだけでなく、各地に民話や伝説のかたちで残っていますね。ちなみに私の母方の先祖は「羅城門(羅生門)の鬼[4]「平家物語」では京都の一条戻橋が鬼退治の舞台とされ、室町時代の謡曲で羅生門に置き換えられたとか」で有名な渡辺綱(わたなべのつな)です。母の実家にあった巨大な仏壇には渡辺綱からはじまる家系図が収蔵されており、法事のときだったでしょうか、親族が集った折にお披露目されていたのをなんとなく覚えています。

「一条戻橋に渡邊綱夜鬼を斬る」安達吟光画

ドラゴンと戦う際に、ゲオルギウスは生贄として囚われていた王女のガーターを足につけたとされます。第三回十字軍遠征に参加したリチャード1世は、それを真似てガーターを身に着けました。獅子心王Richard The Lionheartと呼ばれ勇猛果敢で知られたリチャード1世の行為はその後も継承され、1348年にエドワード3世によって創設されたのが「ガーター勲章Order of the Garter」です。この勲章はいまでもイングランドの最高位の勲章とされ、綬(さげひも)の色にちなんでブルーリボンとも呼ばれます。イングランドでは、ドラゴンの血が赤いバラに変わったという伝説から、4月23日の祝日には襟や胸に赤いバラを飾るのが習慣です。聖ゲオルギウスは、イングランドの守護聖人であると同時に、国名そのもののジョージア、それにラトビア、ロシア、ブルガリア、モルドヴァ、ポルトガルなど多くの国の守護聖人でもあります。また、ゲオルギウスがドラゴンを倒す意匠はモスクワ市やキーウ州をはじめ各地の紋章に取り入れられており、勇壮な姿の彫像も数多く建てられているので、旅行の際に見かける機会もあるかもしれません。

スペインのサッカーの名門FCバルセロナのエンブレムには、カタルーニャ旗と並んで白地に赤十字の旗が描かれています。これはイングランド国旗でもあるセントジョージ・クロスです。何故かというと、聖ゲオルギウスはカタルーニャの守護聖人でもあるから。カタルーニャ州では、聖ゲオルギウスはサンジョルディSan Jordiと呼ばれます。イングランドに似て4月23日には、サンジョルディの日として赤いバラを男女の間で贈りあう伝統がありました。20世紀になり、その日が「ドン・キホーテ」の著者セルバンテスの命日であることから、本を贈りあう習慣へと変化したそうです。現在では、ユネスコがこの日を「世界図書と著作権の日」と定めており、日本でも子供や親しい人に本を贈る日として認知されてきていますね。

References

References
1 ローマ皇帝の親衛隊
2 平民を保護するための役人
3 在位284-305
4 「平家物語」では京都の一条戻橋が鬼退治の舞台とされ、室町時代の謡曲で羅生門に置き換えられたとか