アガサ・クリスティとフォリー

アガサ・クリスティが著したポアロものの小説のひとつ、”Dead Man’s Folly”「死者のあやまち」(1956年初版)。よく練られた構成の上質なミステリーなので、アガサを読んでいない人にも読んでほしいお話のひとつといえます。
何しろ意味が深いタイトルなんです。面白いのがfollyフォリーという単語。これには名詞として二つの違った意味があります。ひとつは日本語のタイトルに近い「愚かさ」や「愚行」(「あやまち」や「罪」ではありません)。foolやfoolishにつながる言葉です。もうひとつは、実用的でない装飾目的の建造物のこと。明確に対応する日本語の単語は見当たりません。ひとの目を引くため、公園や遊園地などに建てたり、お金持ちが道楽で家の庭に観賞用として設置したりする構造物のイメージです。特に塔や古代、中世ゴシックの遺構を模してつくったものを指します。ロンドンのキュー王立植物園のフォリーは有名です。18世紀のイギリスで、風景式庭園を確立し「近代園芸の父」と称される建築家で造園家のウィリアム・ケント。彼がキャロライン王妃(ジェームズ2世妃)からの依頼で、現在のキューの敷地内に「エルミタージュ」、「マーリンの洞窟」というふたつのフォリーを建てたのが始まりとされます。それを引き継いだウィリアム・チェンバース[1]ロンドンのサマセット・ハウスで知られる建築家によって、グレート・パゴダをはじめとする20以上のフォリーが建てられたそうです。しかし、キューの造営に関わったランスロット「ケイパビリティ」ブラウン[2]どんな庭もcapability=将来性・潜在性を持っているとして素晴らしい庭園を造り続けたはフォリーを好まず、多くは解体あるいは移築されました。

左:キュー・ガーデンの大温室 / 右:グレート・パゴダ

この早川書房日本語版では、1958年の初訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ/田村隆一訳)から、建造物を表す二番目の意味でのフォリーを「阿房宮」と訳しています。もちろんこれは正しい訳語ではありません。阿房宮は秦の始皇帝[3]在位BC247‐BC210が造営させた巨大な宮殿のこと。つまり固有名詞です。いまも西安市の西部に一部が復元された形で見ることができます。恐らく当時の認識として、無駄に大きく意味のない建物ということでこの単語を使ったのかと推測できるところです。でも、1974年に兵馬俑が発見され、その後の調査と研究で始皇帝陵 およびその周囲には広大な遺構が残されていることが分かりました。そのため現在では、始皇帝は阿房宮や万里の長城だけでなく、それ以上の壮大な土木事業を執り行うにふさわしい力を保持していたことが知られています。阿房宮も、それまでの数々の宮殿では手狭となったために建てられた実用性のある建物でした。一説では阿保の語源とされるとも言われますが、それを信ずるに値する証拠は存在しません。蛇足ですが、阿房宮は英語ではApang Palaceと言います。
2014年になり、”Hercule Poirot and the Greenshore Folly”「ポアロとグリーンショアの阿房宮」という中編が出版されました。アガサが1954年に書いたものの出版されなかった作品です。そのプロットをそのまま引き継ぐかたちで大幅に内容を膨らませたのが本作。登場人物もほぼ同じ[4]エティエンヌ・ド・スーザがこちらではポール・ロペスという名です。それと、物語の内容はまったく違うミス・マープルものの”Greenshaw’s Folly”「グリーンショウ氏の阿房宮」という短編もあり、”The Adventure of the Christmas Pudding”「クリスマスプディングの冒険」(1960年)に収録されています。ミス・マープルが、甥で作家のレイモンドと彼の姪ルーが見聞きした情報をもとにArmchair detective(安楽椅子探偵)ぶりを発揮する、これはこれでアガサらしいお話なのでおすすめです。
この「グリーンショア」や「グリーンショウ」の名は、アガサの別荘Greenwayグリーンウェイから派生しています。そして、「死者のあやまち」の舞台となるNasse Houseナッス邸および周辺の地理的描写は、グリーンウェイの光景をほぼ再現したものになっているようです。デヴィッド・スーシェが主演したテレビシリーズの「名探偵ポワロ」では、このお話はシリーズの最後に収録されたとか。その際、多くの撮影はグリーンウェイで行われたといわれます。ドラマではシャクナゲがとってもきれいでした。

左:グリーンウェイ / 右:シャクナゲ

話は戻って、フォリーにふたつの意味があることを理解したうえでこの物語を読み進めていくと楽しいです。結末まで読めば、”Dead Man’s Folly”にdouble meaning、つまり二重の含みがあることもわかります。始まりは、ポアロ旧知の推理小説作家アリアドニ・オリヴァ夫人からの呼び出しです。ポアロは急いで列車に乗りデヴォンシャーのNassecombeナッスクームへと向かいます。ナッスクーム駅からは出迎えの車でナッス邸へ。現代の英語にnasseという単語はありません。フランス語には同じ綴りで魚やエビやカニなどを捕る簗(やな)のような漁具を指すラテン語由来の単語があります。また、同じように魚介類を捕るための籠などの仕掛けは、イタリア語ではnassa、スペイン語ではnasaです。屋敷の前を流れるヘルム川で仕掛けを使った漁が行われていたのかも。
ポアロは駅からナッス邸への道中で、大きなリュックサックを背負って歩いていたふたりの若い女性ハイカーを車に乗せてあげます。ナッス邸近くのフッダウン公園にユースホステルがあるのだそうです。今のナッス邸のオーナーは大金持ちのジョージ・スタッブス卿。彼には20歳以上若い妻ハティがいます。もともとこの屋敷はフォリアット家のものでしたが、夫と息子たちを相次いで亡くしたフォリアット夫人がジョージ卿に売却したのです。その後、フォリアット夫人は屋敷の番小屋に住んでいます(ミス・マープルの友人ドリーと同じですね)。
1年ほど前にスタッブス家がナッス邸に引っ越してきた日は大嵐で、広い庭の大木がいくつも倒されてしまったことから、ジョージ卿はその場所にフォリーを建てさせました。いまフォリーの傷んだ土台の修理をしているのが建築家のマイケル・ウェイマン。彼曰く、フォリーは森の中でなくてもっと人目に付く小高い丘の上などにつくるべきなのだそうです。

左:グリーンウェイのボート小屋

オリヴァ夫人はナッス邸で行われるお祭りの催しとして「殺人ゲーム」の企画を依頼されていました。しかし、企画を練り上げる際に誰かの作為が働いているように思われ、ポアロに助けを求めたのです。ゲームは、参加者が与えられた手がかりを頼りに被害者と凶器を捜し出すというもの。ボート小屋で殺害される役を演じるのは、近くに住む14歳のガールガイド[5]日本やアメリカのガールスカウト、マーリン・タッカー。好奇心溢れる思春期の乙女です。お祭りの主催者側の人たちは、ナッス邸に集まり準備に余念がありません。その中でただひとり自由奔放に振る舞うハティ。周囲の人は口々に彼女は頭が弱いというようなことを言います。お祭りの朝、ハティのまた従兄にあたるエティエンヌ・ド・スーザがその日にヨットで到着する旨の手紙が届きました。どうやらハティはエティエンヌをひどく嫌っているようです。やがてお祭りが賑やかに始まり、エティエンヌもやって来ます。ところが、ハティが見当たりません。ジョージ卿の秘書ミス・ブルイスに頼まれたポアロは、「殺人ゲーム」のコースを辿ってハティを探しに。すると「殺人ゲーム」を難しくしすぎて、誰も死体を発見できないのではないかと心配しているオリヴァ夫人と出会います。ふたりのところを通りかかった、ゲームに参加している青年が見つけて読み上げる手がかりは、18世紀の作家オリヴァー・ゴールドスミスが書いた”The Vicar of Wakefield”「ウェイクフィールドの牧師」(1766年初版)の第24章にある一節。大地主ソーンヒルに騙された牧師の娘オリヴィアが唄う詩の冒頭部分です。
“When lovely woman stoops to folly”「愛らしい女性が愚かな行為に身を落とすとき」
この手がかりはふたつのフォリーをかけています。次のヒントは森の中のフォリーにありそうです。
ついでですが、アメリカの女流作家エレン・グラスゴウはゴールドスミスのこの一節を引用した”They Stooped to Folly”(1929年初版)という作品を書いています。彼女はアメリカ南部の風土とそこに暮らす女性の姿を生き生きと描き、1941年に”In This Our Life”でピューリツァー賞小説部門(現フィクション部門)を受賞しました。その小説はベティ・デイヴィスとオリヴィア・デ・ハビランドの主演で映画化[6]ジョン・ヒューストン監督、1942年制作、邦題「追憶の女」もされています。日本では劇場未公開ではあるものの、ベティ・デイヴィスの超悪女役が素晴らしいです。ついでのついでに、ベティ・デイヴィスはピーター・ユスチノフがポアロに扮した1978年版”Death on the Nile”「ナイル殺人事件」で、窃盗壁のあるアメリカ社交界の女性ミス・ヴァン・スカイラー役として出演し味のある演技を披露しています。

さて、オリヴァ夫人とポアロはマーリンの様子を確認しにボート小屋へと向かいました。ところがなんとそこには本物の絞殺死体が…。
一方、ハティは行方不明のまま。その日ハティが着ていたのは、a dress of cyclamen crêpe georgetteシクラメン色のクレープジョーゼットのドレス。シクラメン色とは淡い紫がかったピンクのこと。クレープジョーゼットはシルクの縮緬生地です。それに大きく黒いcoolie-shaped hatクーリー(苦力)帽と4インチ(約10cm)のハイヒールというなんとも派手で人目に付く格好。しかしなぜか目撃情報はどこからももたらされないという状況です。一体どこへ雲隠れしたのか、あるいは何者かに連れ去られたのか皆目見当が付きません。殺人と失踪の事件はどう関りがあるのでしょうか。さすがのポアロも電光石火の真相解明には至らず、事件からひと月以上経過してしまいます。ポアロが再びナッスクームへ赴くと、意外な場所で意外な人物から有力な情報を得られることになるのです。灰色の細胞を働かせて手がかりを引き寄せたポアロがすべてを解き明かします。そして最後にはタイトルのdouble meaningに行きつくでしょう。

左:シクラメン色 / 右:クーリー帽

蛇足です。”Banvard’s Folly”「バンヴァードのフォリー」[7]ポール・コリンズ著、2001年初版という本があります。サブタイトルは”Thirteen Tales of Renowned Obscurity, Famous Anonymity, and Rotten Luck”「名声のある無名人、有名な匿名性、そして不運な13の話」。大きな成功を掴んで一世を風靡したものの、長くは続かずに忘れ去られ、歴史に埋もれてしまった一発屋的人物か集められています。タイトルのバンヴァードは19世紀アメリカの画家で、長大なパノラマ絵画が人気を博してひと財産をつくりました。彼はそのお金で宮殿のような邸宅を建てましたが、それを人々は愚行の意味も含んでフォリーと呼んだのだとか。この本の日本語版タイトルは「バンヴァードの阿房宮」[8]白水社刊、山田和子訳、2014年初版です。
映画”Apocalypse Now”「地獄の黙示録」(1980年日本公開)の原案となった”Heart of Darkness”「闇の奥」[9]1899年初版で知られる、イギリスの作家ジョウゼフ・コンラッドの処女作は”Almayer’s Folly”(アルメイエールのフォリー)[10]1895年初版。金鉱を見つけ大金持ちになることを夢見てボルネオ島のジャングルへやって来たオランダ商人アルメイエールと娘ニーナの物語です。彼が建てた分不相応な邸宅がフォリーと揶揄されました。この物語は2011年には映画化[11]2022年日本公開もされています。また、何度か日本語にも翻訳されていて、2003年版の書籍および日本公開時の映画の邦題は「オルメイヤーの阿房宮」です。




References

References
1 ロンドンのサマセット・ハウスで知られる建築家
2 どんな庭もcapability=将来性・潜在性を持っているとして素晴らしい庭園を造り続けた
3 在位BC247‐BC210
4 エティエンヌ・ド・スーザがこちらではポール・ロペスという名
5 日本やアメリカのガールスカウト
6 ジョン・ヒューストン監督、1942年制作、邦題「追憶の女」
7 ポール・コリンズ著、2001年初版
8 白水社刊、山田和子訳、2014年初版
9 1899年初版
10 1895年初版
11 2022年日本公開