ツバキ

古くから生垣にも多く利用され、冬から早春の花木として定着しているのがツバキです。一般にツバキの名前でまとめて呼ばれるものには、本州から南に広く分布するヤブツバキ(ヤマツバキ)Camellia japonicaと東北や北陸の主に雪の多い地域で見られるユキツバキ(サルイワツバキ)Camellia rusticanaという日本に自生するものや、中国原産の種などももとにして作られたさまざまな園芸品種があります。漢字では椿と書きますが、中国での椿の字はチゥンと発音し、センダン科の香椿(シャンチゥン)Cedrela sinensisという落葉高木を指すものです。さらに中国でのツバキは山茶(シェンチャ)と呼ばれます。これが日本にやって来て山茶花となり、日本語読みのサンチャカが転訛してサザンカになったそうです。学名の種小名は日本語の読みに近い sasanqua。もともとサザンカは、ツバキと比べると葉も花も小ぶりで、花期も遅いのが特徴とされていました。しかし、交配種が増えたことで、見分けのつかないものも増えたように思います。
学名のCamelliaはツバキ科ツバキ属のこと。ツバキやサザンカ以外ではチャノキ(茶の木)Camellia sinensisが有名ですね。ちなみに茶は文字も発音も中国から伝わったそのままを使っています。

16世紀には日本や中国のツバキがヨーロッパに伝わり、大きな栽培ブームとなります。盛んに交配も行われたため、欧米産の品種も数多く生み出されて、日本にも洋種のツバキとして逆輸入されました。現在もアメリカやイギリスを中心に愛好家が定着し、各地で新たに作出した花の品評会が開催されています。


camelliaの学名は、18世紀、二名法による生物の学名を体系づけたカール・フォン・リンネCarl von Linnéによって付けられたものです。イエズス会の宣教師で植物学者でもあったゲオルグ・ヨーゼフ・カーメルGeorg Joseph Kamel(ラテン語名:Georgius Josephus Camellus)が、派遣先のフィリピンの植物を詳しく調査、研究したことを称えて、その名をもらったそうです。しかしながら、カーメルがツバキの研究をしたという事実はなく、リンネは当時人気だったアジアの植物ということで名付けたのかもしれません。ちなみにカーメルの出身はいまのチェコ共和国南部にあたるモラヴィアです。チェコの有名な画家アルフォンス・ムハ(ミュシャ)Alphonse Muchaの古郷でもあります。

左:モラヴィアの中心都市ブルノ/右:ムハ画「モラヴィアの教師合唱団」

ツバキの花弁は5枚です。八重咲きのものも好まれます。花を支える花柄(かへい)が短く、花が付け根から落ちるために斬首をイメージすることから、江戸時代には武士の間で忌み嫌われたそうです。また、病気のお見舞いにも不適とされます。花が付け根から落ちるのは、花弁が瓦のように重なり合って基部ではひとつにまとまっていて、さらにそこに雄しべの基部もくっついているからです。その基部には多量の蜜を分泌するため、メジロなどの小鳥たちがそれを吸うことにより受粉する、典型的鳥媒花でもあります。もともと刈り込みにも強く、大気汚染や潮にもそして風にもよく耐えることから生垣として用いられることが多い花木です。難点はチャドクガの発生でしょう。年に2回、葉裏に産みつけられた卵から数十匹の幼虫がかえり、一斉に葉を食害します。さらに幼虫の毛には毒があり、触れるとひどくかぶれるので要注意です。風通しを良くして卵の段階で見つけて駆除する必要があります。

ツバキといえば黒澤明監督の映画「椿三十郎[1]1962年公開」。三船敏郎と仲代達矢の決闘場面が派手な血飛沫とともに有名です。三船演じる浪人が、加山雄三、田中邦衛ら若侍たちに名を尋ねられ、ツバキの生垣を見て適当に名乗ったのがタイトル名。劇中で重要な要素になるのが、悪徳家老の屋敷に咲き乱れる赤と白のツバキです。この映画を初めて観たときに、モノクロ作品なのに赤ツバキの赤さが際立って見えたのがとても印象に残りました。その後、観るたびに同じ感想を抱いていたのですが、昔の映画に極めて詳しい友人から聞いたところ、そう見えるように赤いツバキの花弁を黒く染めていたのだそうです。黒澤監督は、同じモノクロの「天国と地獄[2]1963年公開」の中で、煙突からたなびく煙だけ赤く(ツバキ色ではなくボタン色)するというテクニックを使っています。これは捜査の決め手となる、色が付いた煙というのがセリフだけでは分かりづらいこともあって、効果的演出として取り入れたのでしょう。でも、「椿三十郎」の時には、ツバキだけを赤くするという技術はまだなかったのだとか。

References

References
1 1962年公開
2 1963年公開