スペイン語で「緑の大地」を意味するMesa Verdeは、コロラド州の南西部に広がる国立公園です。アナサジAnasaziの名で知られる古代プエブロ人は、Four Cournersフォーコーナーズと呼ばれる地帯に居住していました。フォーコーナーズとは、コロラド、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコの四州に跨る場所で、全米で唯一四つの州境が一か所で交わることからその名があります。北緯36度59分56.325秒、西経109度2分42.67秒に位置する珍しい四州交差地点は、多くの観光客が立ち寄る名所です。
メサ・ヴェルデは地質学的に言うとメサつまり台地ではありません。メサは浸食によって出来た急斜面や崖の上で孤立し、頂上が平らになった硬い岩盤の高地を指します。これに対しメサ・ヴェルデで見られるような地形は、硬度の異なる地層が重なって浸食を受けた結果、一方向へ向かってゆっくりと沈んで形成されたものです。これをスペイン語で斜面を意味するCuestaケスタ(クエスタ)と言います。
古代プエブロ人はこの場所に西暦550年ごろから、アリゾナやニューメキシコへ移住する1300年ごろまで住んでいたとされ、その遺跡を保護する目的で1906年にメサ・ヴェルデ国立公園となりました。彼らは、当初岩山の上に住居を築いていましたが、やがてケスタ特有の斜面の窪みを利用して構造物をつくるようになります。現在、公園内には600の岩窟住居を含む4,700以上の遺構が残されており、それらを訪ねることで古代プエブロ人の生活や技術を知ることが可能です。建物は小さな貯蔵庫から大規模な集合住宅まで大小さまざま。最大の見どころはクリフパレスCliff Palace。北アメリカで最大の岩窟住居群です。建物はせり出した岩盤の窪みを背にするかたちで、砂岩の石積みと漆喰、木製の梁を使って築かれており、最大で100人以上が暮らしていたとか。ここには150室の住居と23のキヴァkivaと呼ばれる集会や儀式に使用される円形の部屋があり、向かって右に見える一番高い建物は岩盤に届くほどの約8mの高さで、内部は四層に分かれています。
メサ・ヴェルデの人々がなぜここを捨てたのかははっきりと分かっていません。食糧確保が困難になるような干ばつが続いたのではないかとも言われています。
メサ・ヴェルデへのゲートウェイになるのはコロラド州デュランゴDurango。72㎞先のシルバートンとの間を蒸気機関車で結ぶデュランゴ・アンド・シルバートン狭軌鉄道Durango and Silverton Narrow Gauge Railroadが有名です。