王立園芸協会

イギリスにおいて、王室や貴族のための庭園づくりからはじまり、一般市民に親しまれるガーデニングへと園芸が普及したのは、紛れもなく王立園芸協会Royal Horticultural Societyの存在があるからです。その活動はイギリスやヨーロッパのみならず、世界中へと影響を及ぼし、園芸技術の発展や研究家の育成、そして個人の趣味としてのすそ野の広がりに貢献してきました。協会の創設は1804年。すでに200年以上の歴史があります。当初は単に「園芸協会」を名乗っていましたが、1861年にヴィゥトリア女王の王婿[1]おうせいThe Prince Consortアルバートによる王室認可を授かり「王立」となりました。協会の設立に努めたのが、ジョン・ウェッジウッドという方です。ジョンは、王室御用達で有名な、陶磁器製造業ウェッジウッドの創業者ジョサイア・ウェッジウッドの息子で、自然選択説による進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンの叔父にあたります。ジョン・ウェッジウッドによって招集された最初の会員は7名。キューガーデンズ[2]ロンドン郊外のリッチモンドにある王立植物園にかかわりの深いジョセフ・バンクスやウィリアム・タウンゼント・エイトン、セントジェームス宮殿とケンジントン宮殿の庭園を管理していたウィリアム・フォーサイスなどです。協会はロンドンの西チズィックChiswickに土地を借りて実験用庭園をつくり、世界各地へプランツハンターを派遣して植物の収集、栽培をおこないました。そして王立となった翌年の1862年にケンジントンで最初のグレート・スプリング・ショウThe Great Spring Showを開催します。これが毎年5月におこなわれ、世界でもっとも有名なフラワーショウといわれるチェルシー・フラワー・ショウChelsea Flower Showの前身となりました。

左:新品種の展示 / 右:ショウガーデン

チェルシー・フラワー・ショウの開催される場所は、ロンドン中心部のチェルシー王立病院の中庭です。狭い敷地内にガーデニングの魅力がぎっしり詰め込まれたような感じになり、訪れる人々を楽しませてくれます。最終日の午後には、展示された植物の即売が行われることが通例で、勝手を知ったつわものは朝のうちに目星をつけて予約したりということも。
王立病院の近くには、1673年に薬局のギルド[3]職業別組合によってつくられた薬草園Chelsea Physic Gardenもあります。ここはオックスフォード大学に次いで世界で二番目に古い植物園で、園内には5,000種に及ぶ薬用植物が植えられています。ついでですが、ここから徒歩10分ほどの場所にあるチェルシーガデナーThe Chelsea Gardenerは、植木や苗以外におしゃれな雑貨もたくさん取りそろえたロンドンっ子に人気の園芸店です。

左:薬草園 / 右:チェルシーガーデナー

協会が最初に実験用庭園をつくったチズィックは、その後現在のウィズリー[4]ロンドンの南西26マイルに移るまで、長い間協会の植物園として機能します。世界中から集められた新しい植物、珍しい植物を研究して、イギリスの気候に適応できるよう試験栽培をした場所です。協会が派遣したプランツハンターのひとりであるロバート・フォーチューンは、中国を中心に植物収集をおこないます。そして日本も訪れて植物や昆虫を採集し、日本と中国の自然、農業、園芸、貿易などに関して綴ったYedo and Peking江戸と北京という書物を著しました。

現在、協会が運営する庭園は、ロンドンの南西に位置するウィズリーのほかに、ロンドンの東エセックスのハイドホール、イギリス南西端のコンウォールにあるローズムーア、イギリス中部ヨークに近いハーロウ・カーです。

References

References
1 おうせいThe Prince Consort
2 ロンドン郊外のリッチモンドにある王立植物園
3 職業別組合
4 ロンドンの南西26マイル