ボルシチ/ борщ

子供のころ、母と都心方面へ買い物などに出かけると、ときどき、その当時に五反田駅の駅舎に隣接していた「日本食堂」でお昼を食べました。決まって頼んだのがボルシチです。真ん中に白いクリームがのった赤いスープが大好きでした。大人になってソ連時代のモスクワやレニングラード[1]現サンクトペテルブルクやキーウ(キエフ)を訪れたとき、ボルシチを食べるたびに古い記憶がよみがえったものです。でも少し違ったのは具の大きさ。昔食べていたのはカレーに入れるぐらいの大きめの肉と野菜でしたが、現地ではいずれも小さく刻んだものが入っていました。
ボルシチБорщ/Borschは、もともとウクライナの料理ですが、ビーフストロガノフと並んでロシアの定番料理のひとつなのも間違いがありません。日本の味噌汁のように各家庭でレシピがあり、親から子へ受け継がれるのだと聞いたことがあります。早くから宇宙開発に力を入れていたソ連では、最初はチューブ入りでその後はフリーズドライになった、宇宙食のひとつとしてもボルシチを提供していました。

ボルシチに欠かせないのがビーツ。これがないとあの風味と色が出ないからです。ほかの材料はレシピによって違っても、ビーツを入れないとボルシチとは呼べないでしょう。
ビーツとは、ヒユ科のビートの仲間のひとつで、テーブルビートやレッドビートとも呼ばれます。形はカブ[2]アブラナ科に似ていますが、またくの別物です。実が固いので、下茹でしてから皮を剝き料理に使います。
ウクライナでは、各地で伝統的なボルシチがありますが、基本のつくり方は概ね一緒。ジャガイモ、キャベツ、ニンジン、タマネギ、ビーツを刻み、トマトペーストを加えて煮込みます。キーウ(キエフ)風ボルシチБорщ київський(ボルシ・キーウスキ)では、牛肉や仔羊肉、ベーコンなどを入れ、リンゴのピクルスを加えることもあるそうです。ドネツク風ボルシチБорщ донецький(ボルシ・ドネツキ)では肉を使わないとか、ヴォリン風ボルシチБорщ волинський(ボルシ・ヴォリンスキ)ではキノコを足すとか、それぞれ違いがあるとも聞きました。いずれも赤いビーツのスープです。またウクライナにはЗелений борщ по-українськи(ザラニ・ボルシ・ポ・ウクラインチケ)という緑のボルシチもあります。これはビーツとトマトの代わりにスイバ[3]タデ科の多年草、英語名sorrel、学名Rumex acetosaやホウレンソウを入れるスープです。

最近はよく見かけるようになったスイスチャードという野菜があります。和名はフダンソウといい、茎の色が黄色だったり赤だったりする縮れたホウレンソウのような感じです。ビーツの学名はBeta vulgaris ssp. vulgaris var. vulgarisで、スイスチャードはBeta vulgaris var. ciclaといいます。つまり同じ種です。ssp.はsubspieciesの略で亜種を、var.はvariegata[4]通常は斑入りに使うことが多いですの略で変種を意味します。ビーツは根の部分を食用にしますが、スイスチャードは根が肥大しないので、葉だけを食べるという違いです。また、砂糖の原料となるテンサイも同じ種で、刻んだ根から砂糖をつくります。

左:スイバ / 右:スイスチャード

ユダヤ教にはカシュルートという守らなければならない食事の規定があることは知られています。民族の歴史とともに大事にされているお祭りや祝日には、それぞれに定められた料理、伝統的に食べられている食材があり、ビーツはロシュハシャナと呼ばれるユダヤの新年[5]ユダヤ暦第7月の1日と2日に食べることが多いようです。
ボルシチは、最後にお皿の中心部分にたっぷりとスメタナ[6]smetana チェコの作曲家とは関係ありませんという脂肪分多めのヨーグルトのような、クリームのような乳製品をのせて出来上がりです。日本ではサワークリームで代用できます。
ちなみに乳製品のことを英語だとdairy[7]デアリと発音 productsといいます。以前、ソフトクリームで有名なデイリー・クイーンというお店がありました。都内にもたくさん店舗があったので、友達や家族と行ったものです。この店名が、実はDaily QueenではなくDairy Queenなのだと気づいたのは日本撤退の少し前のことでした。

◆つくってみましょう
●材料と下ごしらえ(4人分)
牛肉…300g(カレー用のもも肉とかすね肉など煮込んでおいしいもの)
※大きければ一口大に切る。ニンジン、ジャガイモより大きめに。
ニンジン…1本(150g程度)
※1~2cm角に切る。
ジャガイモ…1個(150g程度)
※1~2cm角に切る。
トマト…1個(200g程度)
※1~2cm角に切る。
キャベツ…大きめの葉3枚
※千切りにして一度水につけ、ザルにあげる。
ビーツ…缶詰1缶(水煮で固形250g前後)
※ニンジン、ジャガイモより少し大きめに切る。缶詰の汁は取っておく。
ニンニク…1片
※芽の部分を取り、薄くスライス。
野菜ブロス…500ml顆粒や固形のコンソメをぬるま湯500mlで溶いたものでも可)
つくり方⇒野菜ブロス
オリーブオイル…大さじ1
塩…少々
黒胡椒…ひとつまみ
ローレルの葉…1枚
サワークリーム…大さじ4

●つくり方
1.材料を炒める
鍋にオリーブオイルとニンニクを入れて火を点ける。すぐにオイルは温まるので、鍋を回して底全体にオイルをいきわたらせる。
牛肉を鍋全体に並べていく。中火で焼いて肉の色が白っぽくなってきたらニンジンとジャガイモを入れる。
ときどき鍋をゆすりながら、肉全体に焼き色が付いたところで、トマトを加えてさらに炒める。
胡椒を振り入れ、全体がなじむように混ぜ合わせる。

2.煮込む
野菜ブロスを流し入れ、ローレルを加える。中火のまま煮て、沸騰して灰汁が浮いてきたら掬う。
ビーツと缶詰の汁、キャベツを足し、再び沸騰してきたら弱火にする。
塩を振ってかき混ぜたら、ふたをして30分ほど煮込む。

3.盛り付け
深めの皿に盛り付ける。真ん中にサワークリーム大さじ1をのせて出来上がり。
好みでディルの葉を少し散らしても良い。

肉に焼き色が付くまで焼くこと、トマトも炒めること、長時間煮込まないことに注意しましょう。

References

References
1 現サンクトペテルブルク
2 アブラナ科
3 タデ科の多年草、英語名sorrel、学名Rumex acetosa
4 通常は斑入りに使うことが多いです
5 ユダヤ暦第7月の1日と2日
6 smetana チェコの作曲家とは関係ありません
7 デアリと発音