と聞いて思い浮かべるのは、6代目桂文枝がまだ三枝だったころのギャグ[1]小林信彦が盗用と抗議する騒動があったとか漫画の黄色いネコでしょうか。小生にとってはオヨヨと言えば大統領です。1972年、小学校6年生の時に初めて読んだ小林信彦作品が「オヨヨ島の冒険」(1970年・朝日ソノラマ刊、1972年・晶文社刊[2]小生が手にしたのは晶文社版)。オヨヨ大統領シリーズの第1作でした。その頃頻繁に通っていた池上図書館[3]東京都大田区立、当時は池上本門寺に隣接する池上会館の上階にあり、境内から直接アクセスできたの「おとなのほうの部屋」で目に留めたのは、黄色い背表紙のハードカバー。「第I部 オヨヨ島の冒険」と「第II部 怪人オヨヨ大統領」の2編が収録された子供にとっては分厚い本でしたが、小林泰彦[4]小林信彦の弟の素敵な表紙イラストにも惹かれて迷わず借りたのです。読んでみるとなんのことはない、小学生が喜ぶはず。ジュブナイル[5]子供向け小説[6]晶文社版の巻末には「中学一年から九十歳までの読者のためのあとがき」が掲載でした。読み始めたら一気読み。奇想天外で目まぐるしい展開が、まるでクレージーキャッツの映画のようだと感じたものです。

「オヨヨ島の冒険」
オヨヨ大統領というのは、ふざけた名前とは裏腹に宇宙征服をも目論む悪の秘密結社「スカンク」の親玉なのです。主人公はいたずら好きな小学校5年生の大沢ルミ。彼女が、大統領配下で白系ロシア人[7]共産主義の赤に対しての白。ロシア革命時に亡命した人たちとその子孫のニコライとニコラスに誘拐されるところから冒険が始まります。この終始ポンコツぶりを発揮するお間抜けコンビは、執筆時に人気絶頂だったコント55号がモデル[8]解説で石川喬司が記載のようです。[9][オヨヨ城の秘密」のあとがきによれば、作者としてはアメリカのロマンティック・コメディ映画”Luckey … Continue readingほかにも本書には、1964年に開業した東海道新幹線や、開幕を控えて建造中の日本万国博覧会[10]1970年3月15日から9月13日まで開催の会場、1966年には来日もして世界的人気を誇ったビートルズ[11]1970年解散の「イエローサブマリン」に加えて、大きな社会問題となりつつあったスモッグを代表とする公害、安保闘争とか学生運動などの不穏な空気をなぞらえたともいえる、オヨヨ一派の過激で暴力的な活動といった執筆当時の世相を色濃く反映した記述が満載されています。
ルミはといえば、ふたり組のすきを見て脱出。ヒッチコック張りのスリリングな展開で追跡をかわし、逃亡に成功しました。でも今度はホームドラマ作家であるルミのパパが誘拐されます。どうしてルミやパパが狙われるのかさっぱりわかりません。そこでルミは、瀬戸内海の孤島に暮らす破天荒な祖父、大沢源之進に助けを求め、ともにパパの救出へと向かうのです。しかし、あえなく大統領一味に捕らえられてオヨヨ島へ連行。次々に登場するオヨヨ大統領の手下はどれもへんてこな連中ばかり。そんな奴らとルミたちがオヨヨ島でのドタバタ喜劇を繰り広げた末に大団円となるのでした。

「怪人オヨヨ大統領」
小学校6年生になったルミとパパが再びオヨヨ大統領と相まみえます。東南アジアのズビズバ[12]1970年のヒット曲「老人と子供のポルカ」のフレーズ国で内乱が発生。国を逃れた王女のジャン・ジャン[13]1969年に渋谷公園通りでオープンした小劇場の名前姫は、なぜか政権奪還のための手助けをパパに依頼するのです。それは三星銀行本店の金庫に保管されている1枚の絵を盗むこと。冒険家を気取って快諾したパパは、友人でテレビまんがの脚本家の甘崎に相談します。吸血鬼の研究家でもある甘崎曰く、吸血鬼狩りを生き延びたオヨヨを名乗る一族がいるそうです。不吉な予感をおぼえるルミ。パパは首尾よく絵の強奪に成功するものの、案の定、そこへオヨヨ大統領の陰謀が絡んで大事件へと発展していきます。
今回、おじいさんの代わりにルミを助けて大統領に立ち向かうのは、マルクス兄弟[14]5人兄弟のコメディグループのグルーチョ、チコ、ハーポをモデルとした名探偵グルニヨンと助手のチコとハーポ。グルニヨンというのは、マルクス兄弟の最後の主演映画”Love Happy”(1949年・日本未公開)でグルーチョが演じた探偵の名前です。ちなみに、カリフォルニアとメキシコの西岸付近に生息するイワシぐらいの大きさの魚のひとつがグルニョンgrunion。産卵期になると大量に波打ち際に押し寄せて、砂の中に卵を産むという生態が知られています。さらにこの物語では、鮎川哲也の小説で数多く登場するアリバイ崩しの鬼貫(おにつら)警部と相棒の丹那(たんな)刑事をもじった、鬼面(おにつら)警部と旦那(だんな)刑事が脇を固めます。

この物語でも当時の世相を反映した場面が盛りだくさん。なかでも1970年に初就航して、その後も長きにわたってジャンボ・ジェットの愛称で親しまれたボーイング747型機の記述は、いま読むとなんとも懐かしい。日本航空をはじめとして、当初は2階席部分がファーストクラス旅客などのためのラウンジとして使用している航空会社が多かったんです。それと「オヨヨ島の冒険」にも出てきた「パイ投げ」。英語ではPie Fightと呼ばれ、白いホイップクリームがたっぷりのったパイをパイ皿ごと相手の顔めがけて投げつけるもの。かつてのアメリカの喜劇映画ではよく目にした馬鹿騒ぎ的なシーンですが、70年代ごろには日本でもテレビのバラエティ番組で真似されていました。小生が一番記憶に残っている「パイ投げ」といえば”Great Race”「グレートレース」(1965年日本公開、ブレイク・エドワーズ監督)です。冒険家レスリー(トニー・カーチス)と彼に張り合うフェイト教授(ジャック・レモン)が、ニューヨークからパリまでの自動車レースに参加して戦いを繰り広げるというお話。その途中、小国カルパニアでは国王戴冠式を控えて準備の真っ最中です。大きなケーキや大量のパイを製造しているケーキ工場に紛れ込んだレース参加者たちが、コックたちを巻き込んで大掛かりなパイ合戦が始まります。そのパイの中身は赤や紫や水色とさまざま。誰もかれも全身色とりどりのパイだらけになる中、ひとつもパイに当たらずに悠然と歩くレスリー。しかし、最後には飛んできたパイをよけたところで、マギー(ナタリー・ウッド)が持っていたパイに自ら顔を突っ込む羽目に。ついでですが、この映画にはのちに「刑事コロンボ」で有名になるピーター・フォークがマックスという、教授のドジな相棒という役で出演。奇抜な機能を盛り込んだ教授開発の「ハンニバル8」号の助手席に座り、教授に”Push the button Max”と言われてはボタンを押します。すると毎度とんでもないことが起きるのです。
さて本編はというと、オヨヨとグルニヨンの対決を軸に、前作よりも一段とスケールが大きくなったドタバタ劇が展開していきます。
「オヨヨ島の冒険」と「怪人オヨヨ大統領」を原作にした連続ドラマ「怪人オヨヨ」がNHKで制作されて、1972年に放映(全5回)されたことがあります。残念ながら小生が本書を知る以前のことだったので、視聴はしていません。
小林信彦曰く、オヨヨ大統領の名前は、フランス・イタリア合作のコメディ映画”Paris, Palace Hôtel” 「幸福への招待」(1957年日本公開)に登場して、”Viva Hoyoyo”「ヴィヴァ・オヨヨ」と連呼するJules Hoyoyo(ジュール・オヨヨ)なる人物から拝借したのだそうです。この映画の監督は、”Des Gens Sans Importance”「ヘッドライト」(1956年日本公開)、”Mélodie en sous-sol”「地下室のメロディー」(1963年日本公開)や”Le Serpent ”「エスピオナージ」(1973年日本公開)を撮ったアンリ・ヴェルヌイユ。主演はフランソワーズ・アルヌール[15]「サイボーグ009」の003の名前はこの女優からとシャルル・ボワイエという素晴らしい組み合わせでした。
「オヨヨ城の秘密」(1974年・晶文社)
上述の2作とこの作品の合計3作が、「オヨヨ大統領」シリーズのうちの、ルミを主人公とするジュブナイル作品です。それ以外に、「大統領の密使」、「大統領の晩餐」、「合言葉はオヨヨ」、「秘密指令オヨヨ」、「オヨヨ大統領の悪夢」の計5作が1975年までに上梓されています。いずれも冒険、スパイものの小説や映画のパロディが満載された小気味よい物語です。
ルミは中学校1年生を終え、2年生になる前の春休みにパパのお供でパリへ行くことになりました。ところが、羽田空港を飛び立った飛行機の中で、パパのバッグに妹のリサが忍び込んでいることが発覚し、そのまま3人の珍道中となるのです。何でも食べてしまう食いしん坊のリサは2歳。パパを困らせながらもいいところで活躍します。パリに到着した一行が向かったのがパリ・ヒルトン。エッフェル塔とシャン・ドゥ・マルス近くで1966年に開業した大型ホテルです。現在[16]2026年はプルマン・パリ・トゥール・エッフェルの名前で営業中。ところが、パパが空港でスーツケースを取り間違えていたことから、大統領の陰謀の渦中へと身を投じることになるのでした。パリ警察のカリエ警部によれば、国際的麻薬取引を首謀するのが正体不明のオヨヨ大統領なのだとか。ルミとパパは大統領の素顔を知っていることで、捜査への協力をする羽目になります。その間に束の間のパリ市内観光。実は10年ほど前に本書を読み直した際、そこに小生が勤務する会社の名前を発見し、なんとなく因縁めいた雰囲気を感じたのでした。

警部の指示で向かった先は、犯罪組織オヨヨ・コネクションの本拠と目されるアムステルダム。国際犯罪らしく、アメリカ、イギリス、日本の各国から派遣された捜査官が集います。日本の警視庁からやってきたのは、「怪人オヨヨ大統領」に登場した旦那刑事[17]「大統領の晩餐」にも出演です。とても敏腕とは言い難いかもしれませんが。オヨヨ一派に付け狙われる大沢親子。とうとう捕らえられて、地下の秘密工場に監禁されてしまいます。そこからとんでもない展開で無事生還しパリまで戻ったのもつかの間、妙な成り行きで、吸血鬼研究家の甘崎とともにルーマニアのカルパチアへ向かうことになってしまいました。そこには吸血鬼の一族とされるオヨヨがいるかもしれません。
カルパチアとは地方名ではなく、東ヨーロッパで全長1,500kmに及び連なる山脈で、ルーマニアの国土の3分の1ほどを占めます。ルーマニア語ではCarpațiカルパチ。国を象徴するものとして、1989年の民主化まで存在した、国営旅行社の名称もOficiul Național de Turism Carpațiでした。仕事でお世話になっていたことを思い出します。カルパチア山脈に限らず、吸血鬼伝説は古くから各地で知られていますが、一番有名なのはブラム・ストーカーの”Dracula”「ドラキュラ」の舞台となった、ルーマニア中部のTransylvaniaトランシルヴァニア[18]ラテン語で森の向こうの土地地方でしょう。ドラキュラのモデルは、” Țepeș”「串刺し公」の名で呼ばれる15世紀のワラキア公ブラド3世だといわれますが、それは名前だけのこと。ブラド3世の父であるブラド2世ドラクルから始まったのがHouse of Drăculeștiドラクレシュティ家。これはブラド2世が神聖ローマ帝国のSocietas draconistarumドラゴン騎士団に所属していたことに由来します。そのため、ブラド3世はドラゴンの息子を意味するDrăculeaドラキュレアを名乗っていたのです。ストーカーがこの名を文献で見つけて伯爵の名前にしたことは確かなようですが、ブラド3世をモデルとした事実はないと思われます。それでも、ブラショフ近郊に現存するブラン城は、「ドラキュラ」ブラド3世の居城として人気の観光地なのは間違えありません。
さて、ブラン城ならぬオヨヨ城へと乗り込んだ大沢一家と甘崎はオヨヨ大統領と対峙します。いったいどんな戦いになるのやら。

この作品は、晶文社版の翌年に角川文庫版が発行されました。それを読んでびっくり。第11と第12の最後の2章がまるごと改稿されていて、まったく違うエンディングだったからです。お話の舞台がロサンゼルスではなくニューヨークとホノルルに。それまで普通に英語でコミュニケーションを取っていたはずのパパが、急に中学生レベルも怪しいお粗末な英会話能力に陥っています。これはドタバタぶりを強調する意図でしょうか。作者によれば、ジュブナイル3作を、すでに刊行されていた「大統領の密使」以降の作品に繋げる意味から書き直したのだそうです。確かに物語の最終盤で今似見手郎が登場する辺りは流れをスムーズにする意図がうかがえます。個人的にはファンタジーとして終わるオリジナルのほうが好きですが。

References
| ↑1 | 小林信彦が盗用と抗議する騒動があった |
|---|---|
| ↑2 | 小生が手にしたのは晶文社版 |
| ↑3 | 東京都大田区立、当時は池上本門寺に隣接する池上会館の上階にあり、境内から直接アクセスできた |
| ↑4 | 小林信彦の弟 |
| ↑5 | 子供向け |
| ↑6 | 晶文社版の巻末には「中学一年から九十歳までの読者のためのあとがき」が掲載 |
| ↑7 | 共産主義の赤に対しての白。ロシア革命時に亡命した人たちとその子孫 |
| ↑8 | 解説で石川喬司が記載 |
| ↑9 | [オヨヨ城の秘密」のあとがきによれば、作者としてはアメリカのロマンティック・コメディ映画”Luckey Partners”「ラッキー・パートナー」(ルイス・マイルストン監督・1948年日本公開)に出てくるふたりのニックというロシア人もイメージしているとか |
| ↑10 | 1970年3月15日から9月13日まで開催 |
| ↑11 | 1970年解散 |
| ↑12 | 1970年のヒット曲「老人と子供のポルカ」のフレーズ |
| ↑13 | 1969年に渋谷公園通りでオープンした小劇場の名前 |
| ↑14 | 5人兄弟のコメディグループ |
| ↑15 | 「サイボーグ009」の003の名前はこの女優から |
| ↑16 | 2026年 |
| ↑17 | 「大統領の晩餐」にも出演 |
| ↑18 | ラテン語で森の向こうの土地 |