横溝正史が生み出した金田一耕助は、現在も繰り返し映像化されていることからもわかるように、日本を代表する人気の私立探偵と言っていいでしょう。小説の初登場は昭和12年の岡山を舞台とした「本陣殺人事件」(1947年)ではあるものの、その時点ですでにいくつもの事件を解決して名探偵になっていたそうです。よれよれの着物と袴を身にまとい、冬場には二重回し[1]袖のないコートに肩を覆うケープが組み合わさったもので、とんびとは違うを着込んでいます。足元には擦り切れた草履や下駄、頭には形のくずれたお釜帽[2]中折れ帽と違って天辺が丸い山高帽のことで、チューリップハットではないという出立ち。興奮するとど、ど、どもりながら話しては、雀の巣のようなもじゃもじゃの髪の毛を、5本の指で滅多矢鱈に掻きまわすのが癖です。江戸川乱歩の描く明智小五郎は、長身でおしゃれなイメージがあり、金田一耕助とは対極の見た目に思われがち。でも1925年に「D坂の殺人事件」で初登場した際には、よれよれの和服にもじゃもじゃ頭というスタイル。金田一耕助につながるところがあります。それが、「一寸法師[3]新聞に1926-27年連載」と、さらに3年の洋行帰りの「蜘蛛男[4]文学雑誌に1929-30年連載」以降にかっこいいスーパーヒーロー的人物像が定着していきます。でも、「蜘蛛男」では「明智は両手の指を、もじゃもじゃした頭髪の中へ突っ込んで…」という描写も。小柄で貧相ながら人懐っこい笑顔の探偵の活躍をずっぷりと私的視点でご紹介します。( )内は最初の雑誌掲載年または単行本刊行年。
●黒猫亭事件(1947年)
雑誌「小説(小説新聞社発行)」に「黒猫」のタイトルで掲載。角川書店版「本陣殺人事件」に収録されています。
金田一耕助の冒険譚の記録者である筆者のY、つまり横溝正史が、初めて金田一耕助本人と対面する場面が描かれている貴重な作品。また、中学時代の同級生で、パトロンのひとりになる風間俊六との関係も説明されていて興味深いです。
昭和21年(1946年)、胸に持病を抱えて疎開先である岡山の農村にいた「私」Yのもとへ現れた羽織袴の若い男が、金田一耕助と名乗ります。彼は、岡山でのパトロンの久保銀造から自分が雑誌の小説に書かれていると聞き、作者を探して訪ねてきたのだそうです。連載中の小説とは「本陣殺人事件」のこと。そして、この訪問の際に解決直後だった事件について聞いた話を綴ったのが「獄門島」。ここに三日間滞在した金田一とYは、探偵小説の類型のひとつとしての「顔のない屍体」について語り合ったのです。
その翌年、金田一からY宛てに送られてきた小包には、探偵が遭遇した「顔のない屍体」事件の詳細資料が詰まっていました。
事件現場はG町。いろいろ考察しましたが、この場所は横溝の創作でしょう。渋谷から私鉄で行ける東京都内の町なのは間違いありません。でも、井の頭へ行くのに新宿駅へ出ているという記述から井の頭線沿線ではなく、東急東横線か東急玉川線(当時)のいずれか。武蔵野の面影や名残とか、坂が多いとか、駅前からの銀座商店街とか、その裏に桃色(ピンク)迷路などと呼ばれる怪しい歓楽街があるとかのキーワードで、ぴったり当てはまる町が思い浮かびませんでした。そんなG町にある酒場「黒猫」の裏庭の土の中から女の死体が掘り出されます。死後3週間ぐらい経過しているようで、その顔はどんな容貌であったのか判別できません。「黒猫」は糸島大伍とお繁の夫妻が経営していました。しかし、働いていた3人の若い女たちが言うには、ふたりは1週間ほど前に店を人に譲り、それ以降は姿を見せないようです。中国で暮らしていた夫婦は戦後、お繁が先に、大伍が遅れて日本へ引揚げてきたといいます。そしてそれぞれ、お繁には金田一の旧友でもある風間俊六、大伍には鮎子という愛人がいることもわかりました。横浜で土建業を営み羽振りのいい風間にとってお繁は、何人か抱えている愛人のうちのひとりなのだとか。金田一は、風間の別の愛人が切盛りする割烹旅館の離れに居候しており、「黒猫」の一件が「顔のない屍体」事件だとわかると俄然興奮して調査に取りかかります。当時はまだ東京では無名であった蓬髪の名探偵によって、とても巧妙に仕組まれた計画殺人の全貌が明かされるのでした。
金田一が、自らが風間の世話になっていることを語る際に出てくる、「権八」は平井(白井)権八で長兵衛は幡随院(ばんずいいん)長兵衛のこと。歌舞伎の「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)[5]鶴屋南北作」の二幕目「鈴ヶ森の場」で描かれた、浪人の権八の腕に惚れ込んだ長兵衛が江戸でその面倒を見ることになるというエピソードからきています。そのため権八=居候として知られるようになりました。ちなみに歌舞伎は創作ですが、権八も長兵衛も実在の人物。平井権八は辻斬りの罪によって「鈴ヶ森」の刑場で処刑されています。

「黒猫」といえばエドガー・アラン・ポーの短編小説”The Black Cat”(1843年)が有名です。探偵小説ではありませんが、ポーの代表作のひとつと言って差し支えないでしょう。日本では、この作品や「モルグ街の殺人」をはじめ数々の彼の小説が早くから翻訳され出回っていて、江戸川乱歩はもちろんのこと、森鴎外や芥川龍之介といった文豪に影響を与えたと言われています。横溝の本作も、凶器が薪割り(鉈や小型の斧)だったり、よく似た猫を捜すというあたりはポーの「黒猫」に繋がる部分かもしれません。しかしそれを要素に、「顔のない屍体」をテーマにした複雑なプロットで上質に仕上げているのが横溝らしいです。ポーの「黒猫」に出てくる猫の名前はPlutoプルートー。ローマ神話で冥界を司る神の名です。ダンテの「神曲」地獄篇の第7編に登場する魔物の名でもあります。でもよく知られているのは、ディズニーの世界でのミッキーの愛犬の名前かもしれませんね。この名で作品に初お目見えしたのが1931年のことなので、1930年に太陽系の第9惑星[6]2006年に準惑星に格下げとして発見された天体の名前(和名「冥王星」)から由来しているらしいとか。なにしろ擬人化されたグーフィーとは違って普通の犬っぽいところがいいなあと思う次第です。

ちなみに、日本では「アメリカンドッグ」の名で知られる、ソーセージに太い串を刺して衣を付け油で揚げたスナックは、アメリカではcorn dogコーンドッグが一般的な名称ですが、Pluto pupプルート・パプ(プルートの仔犬)とも呼ばれます。
●堕ちたる天女(1954年)
「面白俱楽部(講談社発行)」に掲載されました。角川書店版「貸しボート13号」に収録。
警視庁の等々力警部と岡山県警の磯川警部が対面し合同捜査にあたる唯一のお話。両警部とも金田一耕助にとっては仕事を離れても親密な付き合いがあり、それぞれ肝胆相照らす仲といえます。これより前、「悪魔が来たりて笛を吹く」(1951年)の中では、等々力警部の指揮する警視庁の事件ながら、金田一が磯川警部に調査依頼をしたことはありました。でも直接三人が揃うのはこれが初めての機会のはず。両警部初対面のシーンは余りにもあっさりしてはいますが…。横溝は、結果的に金田一ものの最後の発表作となってしまった「悪霊島」(1979年)を書きあげたあとの金田一探偵譚の新作について、少なくともふたつの構想を持っており、そのうちのひとつは東京と岡山にまたがる大事件を、両警部が手を取り合って犯罪捜査に当たる仮タイトル「千社札殺人事件」だったそうです[7]1979年・朝日新聞掲載「金田一耕助との対話」より。
さて事件の発端は都心の大きな交差点。朝日中学校2年B組の生徒たちが社会科の実習で交通量の調査をしています。すると、疾走してきたトラックが路上に落ちていた小さいコンクリートの塊に乗り上げて、そのはずみで荷台に積んであった白木の箱が滑り落ち、そこへ別のトラックがぶつかりました。箱の中身は石膏像。しかし脚が折れて中に女の死体が隠されていたことがわかります。調べたところ箱を落として走り去ったトラックは盗難車。目撃証言から運転手は黄色いマフラーを巻いていたようです。これが報道されると、黄色いマフラーに心当たりがあると言って、浅草花鳥(かちょう)劇場支配人の浅原三十郎とそこのストリッパーの双葉藍子が警視庁にやってきました。ふたりは死体の写真をひとめ見て藍子の同僚のリリー木下だと認めます。黄色いマフラーの男は、リリーの愛人で彫刻家の中河謙一ではないかと言うのです。その時電話で、高松アケミという新宿のキャバレー「花園」のダンサーが3日前、黄色いマフラーの男に連れ出されたまま戻っていない旨の連絡が入ります。すると藍子が、2日前に中河に誘われて彼のアトリエへ行ったと話しはじめました。そこには2体の石膏像があり、ひとつは天女象でリリーにそっくりだったのだとか。もう1体のニンフ象はアケミなのかもしれません。藍子は危険を察知して逃げ出したので助かったといいます。「花園」の黄色いマフラーの男は、常連で美校を中退した杉浦陽太郎だとわかっていて、風貌などから中河と同一人物の可能性大です。
リリーには、もともとバーのマダムで水原鶴代なる同性の愛人がいました。でも最近になって中河と付き合い始めたそうです。金田一と等々力警部は、リリーの通夜の席で鶴代と話をします。リリーに異性の愛人ができたのは自分の病気のせいだと悲しんでいる様子です。でも、鶴代とリリーはお互いを受取人として500万円の生命保険に加入していたことも判明します。国家公務員の大卒初任給[8]人事院資料によるで比較すると、この小説の発表された昭和29年(1954年)が8,700円(六級職)で、令和5年(2023年)は200,700円(大卒総合職)なので、約23倍になっています。そこから類推すると当時の500万円はいまのおよそ1億1,500万円。結構な額です。もしや保険金殺人かと思われるものの、鶴代と杉浦あるいは中河との接点はまったく見つかりません。金田一は十数年前に磯川警部が扱った未解決事件に思い当たり、警部と連絡を取ります。どうやら同じ犯人による犯行のようです。はるばる上京してきた磯川警部に金田一は「贈り物」として決定的な情報を伝えました。こうして両警部協力のもと捜査は進展し、いよいよ犯人逮捕となるのでしょうか。

金田一が伝える情報の中で、小田急線の「稲田登戸(いなだのぼりと)」という駅名が出てきます。この駅は、本作発表の翌年の1955年(昭和30年)、「向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)」に改称され、お隣の「稲田多摩川」が「登戸多摩川[9]1958年に「登戸」へ再度改称」になりました。稲田の名は、江戸時代にこの辺りが稲毛米と呼ばれた米の産地であったことによります。向ヶ丘遊園は2002年に営業を終了したので、現在は駅名として残るのみです。その跡地は藤子・F・不二雄ミュージアムの一部になっています。かつては、向ヶ丘遊園駅からは向ヶ丘遊園正門駅まで専用のモノレールもあり、大階段の花時計とともに遊園地のシンボル的存在でした。
ちなみに、トラックの積み荷の木箱が壊れ石膏像の中から死体が…というのは、「柩の中の女[10]角川書店版「金田一耕助の冒険」に所収」(1958年)にも使われている場面です。
●蠟美人(1956年)
角川書店版「首」に収録。
法医学会の異端児的存在の畔柳貞三郎(くろやなぎていざぶろう)博士が世の中を騒がせます。軽井沢で見つかった身元不明の死体に復顔を施して生前の姿に蘇えらせるというもの。しかも彫刻家の瓜生朝二の協力のもと全身を復元しようというのです。森の中で発見された遺体は、その時点で死後約3ヶ月。推定年齢26~27の女性で、遺書のようなものもあり、服毒自殺したものと思われます。
現在では復顔の技術が進歩して、CG利用などに移行しているようですが、一昔前までは白骨から肉付けして顔を復元する方法が国内外で犯罪捜査や考古学分野にも役立っていました。このお話はそんな復顔法が一般の認識になる以前のことなので、人々の驚きもいかばかりであったかと推察します。
博士の発表から半年、復元像のお披露目の場となったのは、銀座は三星堂百貨店で開催の防犯展覧会。開場の30分前から警察や新聞記者など招待者向けの展示発表が行われようとしています。その中にはいつものよれよれの恰好で金田一耕助も。この実験が大きな話題となっているのは、それがある殺人事件の犯人と目されながら行方のわからない有名女優ではないかとの憶測があるからです。椅子に座った像を覆う黒い布がはずされたときに現れたのは、まさにその人、立花マリでした。蝋で肉付けされたその顔はまるで生きているように微笑んでいます。彼女は和製マリリン・モンローともてはやされていましたが、昨年、夫で作家の伊沢信造を刺し殺して逃亡したまま今もって行方がわかりません。事件が起こったのは伊沢邸でのこと。夜、離れにいた信造の妹の早苗とその婚約者の雄島隆介は、男の怒号と悲鳴を聞き母屋へ駆けつけます。すると、胸から血を流してあおむけに倒れる信造と、傍らでナイフを握りしめるマリが。早苗たちが伊沢家の名誉を気にして警察への通報を躊躇している隙にマリは姿をくらましてしまいました。

騒然とする展覧会場へ登場したのが信造の母で名門「伊沢女子学園」の経営者、伊沢加寿子に信造の弟徹郎と早苗に雄島隆介。畔柳博士と伊沢家の面々が対峙する場面はすぐさま新聞記事となり、世間に一大センセーションを巻き起こしました。復元像「蝋美人」の展示は大人気となって、それとともにマリへの同情的世論が起こり、殺人や逃亡やその死も伊沢家の陰謀ではないかと噂されます。しかし、遺体発見者の亀吉の供述からマリの失踪当時の衣服などが発見されるに至り、どうやらマリの自殺は疑いのない状況です。ところが、大森の割烹旅館「松月」の離れにに居候する金田一耕助のもとへ雄島隆介が訪ねてきます。博士の復顔に疑問を持って事件の再調査を依頼しにきたのです。実は博士と伊沢家には過去の因縁があるような。金田一がその依頼を一旦保留にした翌日、狸穴(まみあな)にある畔柳博士の自宅兼実験室で博士の他殺体が見つかります。
狸穴は現在も一部が麻布狸穴町という町名が残る場所です。外苑東通り[11]都道319号環状三号線を六本木から東京タワー方面へ向かって行くとして、飯倉片町と飯倉の交差点の中間あたりの右側、麻布台ヒルズの向かい側に位置します。狸穴といえばソ連[12]ソビエト社会主義共和国連邦・1991年崩壊大使館(現ロシア連邦大使館)。小生にとっては旅行会社の新人時代、ビザの申請と受領のために頻繁に通ったところです。いつも警察車両が並ぶのは今も同じでしょうが、当時はさらにものものしく、少なからず緊張した空気があったことを思い出します。その頃のソ連ビザは、発給希望日の2週間ほど前に申請書を提出する「事前申請」と、現地手配完了後にインツーリスト(ソ連国営旅行社)のバウチャー(支払い済み旅行手配確認書)をパスポートとともに預ける「本申請」があるという甚だ面倒くさい手順が必要でした。ビザはパスポートにスタンプされるのではなく、別紙でパスポートにホッチキス止め。出入国のスタンプもパスポートには直接押されず、ビザの紙も出国時に回収されるので、ソ連旅行の記録は残らない仕組みになっていました。そんな大使館の脇が狸穴坂。そしてすぐ裏手に東京アメリカンクラブがあるのも一興といえるでしょう。
ちなみにちょっと珍しい金田一耕助の恋物語「女怪」(1950年)に出てくる祈祷師は「狸穴の行者」を名乗っています。

さて、博士は出刃包丁で心臓を一突きされて殺されていました。また、実験室に置かれていた「蠟美人」は頭部が粉々に破壊されています。老女中とふたりきりで暮らしていた博士のもとには時おり密かに女が訪ねて来ていたようです。金田一が実験室を隈なく調べて見つけたのがオルゴール。そこにすべての謎を解くカギがありました。
●女の決闘(1957年)
春陽文庫、角川文庫の「支那扇の女」に収録されている短編です。「婦人公論」掲載時の当初タイトルは「憑かれた女」。
金田一が長く住んでいたのは、東京の世田谷区緑ヶ丘町にある「緑ヶ丘荘」という高級アパート二階の3号室。全15世帯と左程大きくない「緑ヶ丘荘」は、ガラスをたくさん使った近代的な建物だそうです。「鞄の中の女」[13]「金田一耕助の冒険」に収録ではつい最近引っ越してきたとあり、これが著された年だとすると1957年4月ごろということになります[14]同じく「金田一耕助の冒険」収録の「檻の中の女」では、同年の秋のはじめという設定で『ちかごろ緑ガ丘町に転居して…』と記載あり。それ以前は友人、風間俊六の愛人が経営しているという、大田区大森の山の手にある割烹旅館「松月」の離れに住んでいました[15]上記の「黒猫亭事件」(1947年)、「迷路荘の惨劇」(1956年)、「蝋美人」(1956年)、「トランプ台上の首」(1957年)などに記述。さらに、「毒の矢」と「黒い翼」(いずれも1956年)は緑ヶ丘で起きる事件ではあるものの、金田一はまだこの町の住人ではありません。短編版「悪魔の降誕祭」(1958年)の中で述べられているように、この二つの事件を契機に緑ヶ丘町へ移り住んだのです。しかしながら、「扉の影の女」(1961年)の事件は昭和30年(1955年)の設定であるにもかかわらず、すでに緑ヶ丘荘に住んでいることになっています。もちろん、物語に影響があるわけでもなく、この辺の整合性は不問にすべきところでしょう。
実は、世田谷にはこの「緑ヶ丘」なる町名は今も昔も存在していません。ただし、校名の由来までは調べていませんが、世田谷区桜上水の日本大学の近くには緑丘(みどりがおか)中学校があります。町名は架空であるにしても、「毒の矢」の中で、幼稚園から大学まで包含する緑ヶ丘学園を中心に発展した町と書かれているので、恐らくは横溝本人が暮らした世田谷区成城の成城学園をイメージ[16]「毒の矢」では緑ヶ丘の住人が「…成城ってところがございますわね。…」と会話しているがしているのでしょう。このお話はその世田谷区緑ヶ丘町が舞台です。閑静なお屋敷町のようですが、戦前に建てられた映画撮影所があるという表現からも、益々もって成城の町を思い浮かべてしまいます。実際に、横溝の次女で児童文学作家の野本瑠美によると、成城の横溝邸周辺の住宅やそこに住む人々がモデルにされているようです。ちなみにそれとは別に、世田谷区奥沢のすぐお隣は目黒区緑が丘(かつての町名は緑ヶ丘)。東急電鉄大井町線緑が丘駅は、おしゃれタウン自由が丘と東京科学大学のキャンパスがある大岡山の間です。呑川[17]世田谷区桜新町を水源に大田区を通って東京湾まで流れる二級河川の緑道が終わって開渠になる辺りに位置します。短編の「蝙蝠男」[18]1963年・角川書店版「七つの仮面」に収録で主人公といえる原田由紀子が住んでいたのが目黒の緑ヶ丘。なぜか金田一耕助は「近所」の緑ヶ丘荘に住んでいることになっています。事件の所轄が碑文谷署なので、こちらは目黒で間違いありません。同じ名前のアパートに引っ越したのかな?

事件は緑ヶ丘にある邸宅で行われた、オーストラリアへ帰国するロビンソン夫妻のためのサヨナラパーティで起こりました。集った近隣に住む30人ほどの人々の中には金田一耕助の顔も。みんな飲んだり食べたりしながらおしゃべりに興じています。そこへ現れたのがロビンソンの隣人であり美貌の流行作家、藤本哲也とその妻多美子。さらに招待した覚えのない藤本の前妻泰子もやって来ます。誰しも藤本が泰子を捨てて多美子と再婚したことを知っているので、会場は少々気まずい雰囲気に。ところがそんな空気をよそに多美子と泰子は仲良く並んでソフトクリームを舐めはじめました。と、刹那、多美子が倒れてその全身を激しい痙攣が襲います。幸い金田一の応急処置のおかげで一命をとりとめた多美子でしたが、ソフトクリームからは猛毒のストリキニーネが検出されました。誰かに命を狙われたようです。疑わしいのは一緒にいた泰子とソフトクリームを手渡した藤本。しかし、証拠がありません。やがて数ヶ月が経過し、耕助の友人でもある、緑ヶ丘の住人ジャック安永にアメリカ映画への出演が決まったことでお祝いパーティが開かれます。前回同様に多くの人たちが集いました。すると今度は、同じストリキニーネによる殺人事件が発生。ソフトクリームの一件と関わりがあるに決まっています。真相を掴むべく名探偵は、人間関係を知るであろうメルボルンのロビンソン氏にあてて手紙を書くのでした。動機や手口に作品のタイトルの意味が隠れています。

さて、太宰治が1940年に同名の小説を発表しています。これは、太宰が尊敬する森鴎外が翻訳した、ヘルベルト・オイレンベルクの「女の決闘」”Ein Frauenzweikampf”(ある女の決闘)という短編をもとに書いた作品です。オイレンベルクのお話は、妻が夫の不倫相手の女学生と拳銃による決闘をして殺してしまい、苛まれながら死んでゆくというもの。横溝は改題の際にそこからタイトルを拝借したということでしょう。
●火の十字架(1958年)
角川書店版「魔女の暦」に所収の短編。
浅草と深川と新宿とに三館を構えるパラダイス劇場が舞台です。映画や女剣劇レビューなどの演目があるようですが、売り物は劇場の主人でもある星影冴子のヌードショー。三館の楽屋に高級アパートのような部屋を持つ冴子は、浅草は立花良介、深川は三村信吉、新宿は滝本貞雄という愛人をマネジャーとして据え、それぞれを1週間ずつ順番に回って興行を行っているのだとか。
金田一は、「哀れな女」を名乗る人物から新宿パラダイスで起こる事件の予告状を受け取りました。彼は等々力警部に向かって、花鳥劇場事件(「堕ちたる天女」)からその方面では有名になったからだと思うと言います。予告状によると、復讐鬼に狙われている男女にはみな火の十字架の刺青があるそうです。ふたりは手紙で指定された日時に新宿へ赴き、パラダイス劇場の楽屋口を見張ることに。一方その朝、ゴンダ運送店は得意先の浅草パラダイスから集荷を依頼されます。新しく雇われたらしい小栗啓三と名乗る、黒眼鏡に大きなマスクをつけて片足が義足のような男から、三個の大きなトランクを預かって新宿へ運んできました。ところが、運送屋が一番大きなトランクを荷台から降ろす際に道路に落としてしまい、そこへ来た別のトラックがぶつかって、トランクの蓋が開きます。すると舞台衣装とともに中から出てきたのは星影冴子。薬で眠らされているようです。金田一は、パラダイスの寝室へ運び込まれた冴子の太い腕輪を外させます。下から現れたのは火の十字架の刺青。冴子と3人の男たち、それに冴子の同僚の富士愛子を加えた5人は、戦前に劇団南十字星に所属していた仲間で、全員同じ火の十字架の刺青を彫っているのだとか。
新宿の騒ぎの最中、今度は浅草パラダイスで立花と思しき男の死体が発見されました。塩酸を大量に浴びせられていて、顔は人相もわからず、刺青のあったであろうことも不明です。調べていくと、かつては小栗啓三も南十字星の俳優で、スター女優だった花園千枝子も一緒に、5人と行動を共にしていたことがわかりました。しかし、戦争が始まって小栗が召集され、ほかのメンバーは軍需工場へ徴用されます。そして、昭和20年3月の東京大空襲で千枝子だけが亡くなったといいます。戦地で傷を負って戻った小栗は、千枝子の死に疑問を抱いていたようです。そこにはどんな秘密があるのでしょうか。それを知った小栗が復讐鬼となったのでしょうか。もじゃもじゃ頭の探偵は、幾重にも仕掛けられたトリックを見破り真相にたどり着くのです。

●貸しボート13号(1958年)
もとは短編として前年に「週刊朝日別冊・秋季特別読物号」に掲載された作品を改稿し、中編に仕上げました[19]東京文芸社・金田一耕助推理全集 第4巻「火の十字架」に所収。短編版は「金田一耕助の帰還」[20]出版文芸社版および光文社版に収録。内容を大幅に膨らませたことによって良質のミステリーになっていると思います。単に奇妙な猟奇殺人の謎解きに留まらず、大学体育会の男たちの熱い友情や、金田一のパトロンのひとりとして登場する神門(しんもん)産業の総帥、神門貫太郎との結びつきなどが物語に強弱と厚みと纏まりをもたらしているのでしょう。

隅田川が東京湾へ注ぐ浜離宮の沖で浮いていた手漕ぎボートの中から男女の凄惨な死体が発見されました。女はレインコートまで着込んでいるのに男は猿股[21]いまのボクサーブリーフのような男性下着1枚の裸。ふたりとも首を絞められた跡と心臓に達する刃物の刺し傷があり、女は七分ほど、男は三分ほどノコギリで首を挽き切られています。どうして服装が違うのか、なぜ犯人は首を切ることを途中で止めたのかが疑問です。等々力警部が名付けたところの「生首半切り偽装心中事件」。捜査によって、このボートは2日前に吾妻橋[22]隅田川の浅草近くに架かる橋の貸しボート屋で貸し出された舟だと判明しました。これが大々的に報道されると某省の課長、大木建造[23]短編では井口なる人物が出頭。現場写真を確認させたところ、自分の妻の藤子[24]短編では妙子と娘の家庭教師でX大学ボート部の駿河譲治だといいます。金田一は警部と新井刑事を伴ってX大ボート部の合宿所とボートハウスのある戸田へと向かうのです。戸田といえばボートですね。荒川を挟んで板橋区と隣接した河川敷に広がる戸田公園にあるのが、戸田漕艇場とBOAT RACE戸田。前回1964年の東京オリンピックでボート競技の会場とされ、今も聖火台が残っています。早慶をはじめとした多くの大学や企業が合宿所や艇庫を構えていることで有名です。
X大合宿所を訪れた金田一たちとボート部員とのやりとり辺りからが改稿時に追加された部分で、それぞれの個性や人間関係が細かく描写されています。部員や寮母から事件前後の動静を詳細に聞くにつれ、深い謎の核心に迫る重要なポイントが見え隠れするようです。ここで駿河が神門産業専務令嬢の川崎美穂子[25]短編では美禰子と婚約していたこともわかります。その後説明される通り、金田一はかつて神門一族のひとりの冤罪を晴らすために尽力したことから、神門貫太郎の絶大な信頼を得るに至っており、美穂子に関係するこの事件の解決には並々ならぬ闘志を燃やしたに違いありません。最後に金田一耕助恒例の見せ場として、関係者一同を集めた席での謎解きの披露が。ここがやっぱり真骨頂ですね。
ついでながらボートが13号なのは、もちろん欧米で忌嫌われる数字だからです。短編「薔薇の別荘」[26]1958年・角川書店版「七つの仮面」に収録では13人の会食について気にする場面が描かれているものの、詳しい理由は省略されています。知りたい方はこちらの「エッジウェア卿の死」の項へ。
件の神門一族に関わる事件については、横溝正史はいずれの形でも作品に仕立てていません。横溝や金田一を考察する各方面の文章には、横溝が「悪霊島」(1980年)の次に著そうと予告していた「女の墓を洗え」のことだと断定的に書かれていたりします。しかしそれを信ずる根拠は、小生が調べた限りではどこにも見当たりませんでした。「女の墓を洗え」はアガサ・クリスティの「杉の柩」に着想を得たプロットで、等々力警部が犯人を逮捕した事件を、金田一耕助が調査し直すという辺りまでは予定されていたようです。それでも神門冤罪事件とは何ら関係がないと思われます。

●霧の山荘(1961年)
月刊誌「面白倶楽部」掲載の短編「霧の別荘」(1958年)を改稿した中編。角川書店版「悪魔の降誕祭」に収録されています。
K高原のPホテルに滞在中の金田一のもとへ江馬容子という若い女性が訪ねてきました。K高原とは軽井沢高原で間違いありません。「霧の別荘」と前後して発表された「香水心中」[27]角川書店版「殺人鬼」に収録でもともに仕事をしたことのある、軽井沢署の岡田警部補[28]短編では千代呂木警部補が出てくるからです。Pホテルはおそらくプリンスホテル[29]旧・軽井沢プリンスホテル/1948年開業で後に皇室専用となったが現在は使われていないのことでしょう。M原[30]短編では向ガ原は南原、A山は浅間山、N駅は中軽井沢駅、Sヶ滝は千ヶ滝かと思います。横溝正史自身も南原に別荘を所有しており、本作や「香水心中」以外にも「仮面舞踏会」(1974年)をはじめ軽井沢を舞台にしたいくつもの作品を執筆しました。
江馬容子の依頼というのは、彼女の伯母でサイレント時代の映画スター、紅葉照子に関連する未解決の事件だそうです。なんでも死んだと思われていた犯人と出会ったのだとか。その夜、金田一は照子と別荘で面会するために指定の場所へ向かうものの、濃霧の中で道に迷ってしまいます。迎えに来たアロハの男と出会って別荘へは到着しますが、ドアも窓も施錠されていて、声をかけても応答がありません。カーテンの隙間から覗くと寝椅子に横たわる照子の姿が。その胸元は赤黒いしみでぐっしょり濡れ、床には刃物がころがっています。アロハの男が助けを呼びに行こうとしますが、石に躓いてけがをしたので代わりに金田一が行くことに。別荘地の管理人のところまでたどり着き、警察を呼んでもらって別荘へ戻りました。ところがそこには照子の姉の房子と犬だけがおり、照子は出かけたと言います。死体はなく、アロハの男もいません。周囲を探しても事件の痕跡は見当たりませんでした。すっかりキツネにつままれた状態になった金田一。週末を過ごしにやって来た等々力警部にこのような顛末を語った翌朝、広い敷地を持つ別荘地の丘の中腹で照子の死体が発見されます。怪しいのは房子とアロハの男です。ではなぜ金田一に死体を見せたのか、なぜ死体を運んだのか、謎が残ります。別荘に住んでいたのは照子と房子とお手伝いのみ。時おり訪れる容子は、前日の金田一との面会後に仕事で東京へ戻っていて、入れ替わりに彼女のいとこ、即ち照子の甥の西田武彦が来ています。警部と同じ列車に乗っていたそうです。金田一は現場の状況から、この別荘と正面が同じ構えの家がもうひとつあるのではと推理し、警部とともに探索へ繰り出すのでした。見事にアリバイやトリックを崩すことができるのでしょうか。

短編版では最後に等々力警部が「…もっとも適切なる言葉は女を捜せですね。…」と言っています。「女を捜せ」はフランスの探偵小説での常套句”Cherchez la femme”「シェルシェ・ラ・フェム」の日本語訳で、慣用句「犯罪の陰に女あり」のもとになった言葉です。もともとはAlexandre Dumas (père)アレクサンドル・デュマ(父)が”Les Mohicans de Paris”「パリのモヒカン」(1854年)の中で使ったのが最初と言われています[31]フランス語版wikipedia。アガサ・クリスティはじめ、フランス以外の多くの作家が引用してきたことでより広く知られるようになったのでしょう。また、フランスの作家Alice Fernayアリス・フェルネイ[32]2025年時点で邦訳が出ているのは”Grâce et dénuement”「本を読むひと」(1997年)のみがこのタイトルで小説(2013年)を書いています。これは探偵小説ではなく、二世代のカップルを中心に、夫婦愛、家族愛、自己愛などを情緒豊かに綴った作品です。
●悪魔の百唇譜(ひゃくしんふ)(1962年)
同年に、短編として「百唇譜」のタイトルで雑誌「推理ストーリー」(1961年創刊・双葉社)に掲載されたものを改稿した作品。
1960年(昭和35年)6月22日の明け方、世田谷区成城町で故障して止まっていた車のトランクから女の死体が発見されます。鋭利な刃物で心臓を一突きされたようです。その胸には同じ刃物で刺し貫かれたであろうハートのクインのカードが置かれていました。車は1957年型のオースチン。近くに住む台湾系中国人で貿易商の李泰順[33]短編では陳隆共の所有で、死体は李の妻の朱美だとわかります。ちなみにオースチンといえば、かつてはミニとロンドンのブラックキャブでよく知られていた自動車ブランド[34]当時はブリティッシュ・モーター・コーポレーション傘下です。調べてみると当の李は急な出張で、前夜の夜行列車に乗り関西方面へ向かっているとか。早速、刑事たちが李の足取りを追って出かけました。
一方、久しぶりに旅に出る予定だった金田一耕助は、盟友ともいえる警視庁の等々力警部につかまって事件現場へ駆り出されます。警察と金田一が女中のナツ子や李の会社の坂巻営業部長らから聞き取りをしてみると、李は相当に嫉妬深い男なのだそうです。当然のように犯人として疑われます。すると今度は、世田谷区弦巻(つるまき)町に駐車していた車のトランクの中で若い男の死体が見つかりました。胸には間にハートのジャックのカードを挟むようにして短刀が突き刺さっています。どう考えても同じ犯人による連続殺人としか思えません。こちらの車は新車のトヨペット・クラウン。被害者の園部隆治はまだ高校生でありながら、前年に世間を騒がせた元流行歌手の都築克彦刺殺事件の関係者とみられていました。都築の自宅からは、彼が生前関係を持った主に富裕層の女性たちの唇紋を採取し集めた、その名も「百唇譜」という小冊子が出てきたことから大きな話題になったといいます。それをネタに脅迫まがいのことをしていたがために殺されたのではないかとみられていて、そこに園部も関わったらしいのです。今回の連続殺人犯は「百唇譜」と繋がりがあるのでしょうか。朱美と園部とはどんな関係なのでしょうか。
ちなみに短編では殺されるのは都筑と朱美のみ、使われる車もクラウンだけ、犯人も証拠の隠し場所も異なり、刺し貫かれたトランプも出てきません。

地元ネタで恐縮です。園部が間借りしていた小間物屋は世田谷区上馬(かみうま)町の駒留(こまどめ)公園わき。すぐ近くで幹線道路の拡張工事が進行中です。この幹線道路は環状七号線[35]東京都道318号のこと。駒留公園は、世田谷通り若林と国道246号線上馬の中間で、駒留通りと弦巻通りがX字状に交差する場所にあります。クラウンが置いてあったところとは目と鼻の先です。公園の隣に立つのは駒留八幡神社。亡くなった義父がかつて氏子総代を務めていた神社なので、特に秋の例大祭には少なからず思い入れがあります。さらに事件の関係者と目される新進スター女優の水原ユカリが暮らすのが世田谷区赤堤(あかつつみ)。京王線下高井戸駅と小田急線経堂駅に挟まれたエリアです。こんな具合で成城、弦巻、上馬、赤堤という世田谷区の比較的狭い地域で繰り広げられた殺人劇。なにしろ一番離れた成城から上馬まで、仮に赤堤と弦巻を経由して移動したとしても10㎞ほどしかありません。
2台の車とふたつの遺体の謎。そんな事件の全貌は、もじゃもじゃ頭をバリバリ掻き毟る金田一耕助によって解き明かされるのでした。

References
| ↑1 | 袖のないコートに肩を覆うケープが組み合わさったもので、とんびとは違う |
|---|---|
| ↑2 | 中折れ帽と違って天辺が丸い山高帽のことで、チューリップハットではない |
| ↑3 | 新聞に1926-27年連載 |
| ↑4 | 文学雑誌に1929-30年連載 |
| ↑5 | 鶴屋南北作 |
| ↑6 | 2006年に準惑星に格下げ |
| ↑7 | 1979年・朝日新聞掲載「金田一耕助との対話」より |
| ↑8 | 人事院資料による |
| ↑9 | 1958年に「登戸」へ再度改称 |
| ↑10 | 角川書店版「金田一耕助の冒険」に所収 |
| ↑11 | 都道319号環状三号線 |
| ↑12 | ソビエト社会主義共和国連邦・1991年崩壊 |
| ↑13 | 「金田一耕助の冒険」に収録 |
| ↑14 | 同じく「金田一耕助の冒険」収録の「檻の中の女」では、同年の秋のはじめという設定で『ちかごろ緑ガ丘町に転居して…』と記載あり |
| ↑15 | 上記の「黒猫亭事件」(1947年)、「迷路荘の惨劇」(1956年)、「蝋美人」(1956年)、「トランプ台上の首」(1957年)などに記述 |
| ↑16 | 「毒の矢」では緑ヶ丘の住人が「…成城ってところがございますわね。…」と会話しているが |
| ↑17 | 世田谷区桜新町を水源に大田区を通って東京湾まで流れる二級河川 |
| ↑18 | 1963年・角川書店版「七つの仮面」に収録 |
| ↑19 | 東京文芸社・金田一耕助推理全集 第4巻「火の十字架」に所収 |
| ↑20 | 出版文芸社版および光文社版 |
| ↑21 | いまのボクサーブリーフのような男性下着 |
| ↑22 | 隅田川の浅草近くに架かる橋 |
| ↑23 | 短編では井口 |
| ↑24 | 短編では妙子 |
| ↑25 | 短編では美禰子 |
| ↑26 | 1958年・角川書店版「七つの仮面」に収録 |
| ↑27 | 角川書店版「殺人鬼」に収録 |
| ↑28 | 短編では千代呂木警部補 |
| ↑29 | 旧・軽井沢プリンスホテル/1948年開業で後に皇室専用となったが現在は使われていない |
| ↑30 | 短編では向ガ原 |
| ↑31 | フランス語版wikipedia |
| ↑32 | 2025年時点で邦訳が出ているのは”Grâce et dénuement”「本を読むひと」(1997年)のみ |
| ↑33 | 短編では陳隆共 |
| ↑34 | 当時はブリティッシュ・モーター・コーポレーション傘下 |
| ↑35 | 東京都道318号 |