テキサス州最大の都市ヒューストンは、ニューヨーク、ロサンジェルス、シカゴに次ぐ、アメリカで上から4番目に当たる約240万人(2024年時点・名古屋市と同じぐらい)の人口を抱えた大都市です。
1821年にメキシコがスペインから独立した際に、今のテキサスを含む広大な土地がメキシコ領となりました。その頃のテキサスにあった町はサンアントニオとラ・バイア(のちのゴリアド)ぐらい。他はまばらに人が住んでいるだけだったため、入植が奨励されてアメリカから多くのイングランド系アメリカ人(白人)がやって来ることになります。メキシコと交渉してテキサスの植民地化を成功させたのが、「テキサスの父」と呼ばれるスティーブン・F・オースティンです。彼の名はテキサスの州都に名付けられています。
奴隷を伴った白人開拓者の人口は膨れ、独裁的統治を進めようとするサンタ・アナのメキシコ政府と対立。1835年から翌年へかけて起こったテキサス革命へと発展し、メキシコから独立してテキサス共和国が建国されます。この時にテキサス軍を率いて共和国の大統領にもなったのがサム・ヒューストン。彼の功績を称えるために、1837年に新たに設立した町をヒューストンと名付けたのです。テキサス共和国は1845年にアメリカ合衆国へと併合され28番目の州になりました。
当時のテキサスは、大規模プランテーションによる綿花の栽培が盛んで、ヒューストンはその集積地となり、輸送するための鉄道網の中心として発達します。ところが、1901年にヒューストンの東にあるボーモントの郊外スピンドルトップで、採掘中の油田から原油が噴出したことで状況は一変。アメリカ経済を支える石油産業の中枢へと成長していくのです。現在は石油と天然ガスに加えて再生エネルギーも経済基盤となっています。

長距離移動の手段が航空機に移管すようになり、ヒューストンは国内線のみならず国際線でも主要路線を数多く発着させる重要な拠点になりました。現在(2026年)は2つの国際空港があります。1927年に開設されたウィリアム・P・ホビー空港(HOU)と1969年に開港したジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港(IAH)です。前者はサウスウエスト航空のハブとして国内および中米への路線が充実。かつてのテキサス州知事の名が付けられました。後者は、5本の滑走路と5つのターミナルビルを備える巨大空港で、ユナイテッド航空およぶユナイテッド・エキスプレスのハブであり、世界各地とフライトで結ばれています。空港の名前は、第41代アメリカ合衆国大統領のジョージ・H・W・ブッシュ(パパブッシュ)に敬意を表して名付けられたものです。

個人的にヒューストンといえば「こちらヒューストン」。1969年7月20日の人類初の月面着陸はNHKで生中継されました。居間のテレビのブラウン管画面を、家族そろって見つめていた記憶があります。その際の地上から宇宙船アポロ11号への問いかけで何度も聞いたのが上記の言葉です。当時の小学生としては、ヒューストンはアメリカのNASA(航空宇宙局)の管制室がある場所だということだけは学びました。その後ジョンソン宇宙センターと名が付いた施設です。
よく月着陸の瞬間のニール・アームストロング船長の言葉”The Eagle has landed”は、「鷲は舞い降りた」という日本語訳で表現されます。しかし、これはいつどこからかは不明なものの、後に造成されたものです。実際のNHK実況時に西山千[1]日本の同時通訳者の草分けといわれる(にしやません)の同時通訳では「イーグルは着陸しました」と言っています。それは月着陸船の名前がイーグルであるからに他ならないわけで、その前後で何度も固有名詞として登場する「イーグル」を、わざわざこの時だけ「鷲」と日本語にする意味はないからです。
1975年に発表されたジャック・ヒギンズによる小説”The Eagle has landed”は、第二次世界大戦中のヨーロッパを舞台に、ナチスドイツが連合国側の最重要人物の誘拐を企てるという話。その時のコードネームが「イーグル」です。もちろんこのタイトルはアームストロングの言葉の引用。その日本語版タイトルが「鷲は舞い降りた」[2]菊池光(きくちみつ)訳です。この小説は1976年に映画化されて日本でもヒットしました。ナチスドイツの象徴である鷲と落下傘部隊による作戦であることから、この心地よい日本語タイトルがしっくりきます。小説と映画の邦題と相まって、”The Eagle has landed”=「鷲は舞い降りた」となり広まったことは間違えないでしょう。この”The Eagle has landed”なる言い回しは、アメリカではしばしば「困難なことを成し遂げた」みたいな意味で使われます。
映画「鷲は舞い降りた」は、「OK牧場の決斗」(1957年日本公開)、「荒野の七人」(1961年日本公開)、「大脱走」(1963年日本公開)などの名作を撮ったジョン・スタージェス監督の遺作です。音楽は「スパイ大作戦」(1967年から放送されたテレビシリーズ)、「ダーティハリー」(1972年日本公開)、「燃えよドラゴン」(1973年日本公開)、のラロ・シフリン。出演者も凄い。主人公のシュタイナ中佐をマイケル・ケイン卿が、ハインリヒ・ヒムラー役はドナルド・プレゼンス、ヒギンズ作品ではお馴染みのIRA[3]アイルランド共和国軍戦士リーアム・デブリンをドナルド・サザーランドが演じました。加えてアカデミー賞俳優[4]主演男優賞”Tender Mercies”1983年制作・日本未公開のロバート・デュヴァルに、「2300年未来への旅」(1977年日本公開)、「狼男アメリカン」(1982年日本公開)のジェニー・アガターも出演。
大都市なだけにヒューストンを本拠地とするプロスポーツはいくつもあります。もっとも古くから続いているのが1962年に設立したMLB[5]メジャー・リーグ・ベースボールのHouston Astrosヒューストン・アストロズ。当初のチーム名はHouston Colt .45sヒューストン・コルト・フォーティファイヴズでした。Colt .45とは西部開拓時代を想起させるコルト社の45口径拳銃のこと。1965年に世界初の密閉型ドームスタジアム(アストロドーム)の開場に合わせてアストロズへと名称変更しました。
70年代までのアストロズは、鳴かず飛ばずの弱小チームのイメージでしたが、カリフォルニア・エンジェルス(現ロサンジェルス・エンジェルス)から、すでに通算4回のノーヒットノーランを記録[6]最終的には7回のノーヒットノーランを達成していたNolan Ryanノーラン・ライアンを獲得し、1980年に初めてNL[7]ナショナル・リーグ西地区で優勝。しかしその後は再びチームは低迷します。1990年代に入って”Killer B’s”「キラービーズ」と呼ばれたCraig Biggioクレイグ・ビジオ、Jeff Bagwellジェフ・バグウェル、Derek Bellデレク・ベルの強力打線[8]ショーン・ベリーやランス・バークマンも加える場合ありで1997年から3年連続の地区優勝を経験。でもリーグ優勝は2005年になるまでかかり、2017年にやっと初のワールドシリーズ制覇を成し遂げたのです。サイン盗み事件[9]外野のビデオカメラでキャッチャーのサインを撮影してベンチへ送り、それをバッターへ音で伝える方法・2019年に発覚のおまけもつきましたが…。ライアンの34、ビジオの7、バグウェルの5は永久欠番です。


実はヒューストンには、野球チームができるよりも前にフットボールのプロチームがありました。1960年にNFL[10]ナショナル・フットボール・リーグとは別の、AFL[11]アメリカン・フットボール・リーグ・1970年にNFLと統合創設メンバーとなったHouston Oilersヒューストン・オイラーズです。1960年からチャンピオンシップを2連覇したものの、その後は人気は高くても強豪チームにはなれませんでした。残念なことに、新スタジアム建設計画の頓挫から1997年シーズンにテネシー州ナッシュヴィルへ移転。1999年にはチーム名もTennessee Titansテネシ-・タイタンズへと改まりました。

しかし、2002年にリーグのチーム拡張の際に参入したのがHouston Texansヒューストン・テキサンズ。新しいフットボールチームはオイラーズファンだった人たちからの声援も受けて頑張っています。現状はプレーオフ進出まで漕ぎ着けるけれども、なかなかそれ以上は上へあがれないという感じですが。
かつてオイラーズと同じAFL創設当時からのメンバーとして、Dallas Texansダラス・テキサンズというチームがありました。実力はあったにもかかわらず、NFLのDallas Cowboysダラス・カウボーイズに人気面では及ばず、ミズーリ州カンザスシティへ移転し、1963年からはKansascity Chiefsカンザスシティ・チーフスとなりました。他にも短命だったいくつかのテキサスのフットボールチームにテキサンズの名が付けられていたことがあり、公募された新チームの名称から選ぶ際、一番テキサス人らしいチーム名としてテキサンズに決定されたのです。
ヒューストンに本拠を置くもう一つのメジャースポーツのチームがNBA[12]ナショナル・バスケットボール・アソシエイションのHouston Rocketsヒューストン・ロケッツ。なるほどジョンソン宇宙センターがある町だからこの名前と思われるかもしれませんが、実はこのチームはもともとカリフォルニアのサンディエゴにありました。1967年設立のSan Diego Rocketsです。軍需産業のジェネラル・ダイナミクスがサンディエゴに工場を構えていたことからこのチーム名が選択されました。しかし、4年後の1971年に工場はミズーリ州セントルイスへ移転。チームもヒューストンへ移りました。それでも、航空宇宙産業のイメージからチーム名は存続されたのです。ちなみにチーム設立の1967年にロケッツがドラフトで最初に指名した選手が、後にヘッドコーチとしてNBAチャンピオン5回[13]LAレイカーズで4回、マイアミ・ヒートで1回という輝かしい実績を残すことになる、Pat Rileyパット・ライリーでした。

ヒューストン・ロケッツを代表する選手と言えば”The Dream”の愛称で知られるHakeem Olajuwonアキーム・オラジュワンでしょう。Michael Jordanマイケル・ジョーダン(シカゴ・ブルズ)、Charles Barkleyチャールズ・バークレー(フィラデルフィア・セヴンティシクサーズ)、John Stocktonジョン・ストックトン(ユタ・ジャズ)といった、のちのスーパースターが揃った1984年のドラフトで、全体1位として指名されて地元ヒューストン大学から入団。2001年シーズンまでプレーしました。このドラフトの選手たちは、ドリームチームとして1992年のバルセロナ・オリンピックで金メダルを獲得し、NBA人気を世界中に広めたことでも知られています。オラジュワンは、1994年と95年シーズンには、同じセンターのポジションだったPatrick Ewingパトリック・ユーイング(ニューヨーク・ニックス)、David Robinsonデヴィッド・ロビンソン(サンアントニオ・スパーズ)、Shaquille O’Nealシャキール・オニール(オーランド・マジック)らを圧倒してNBAを2連覇。得点するだけでなく、リバウンド、ブロックショット、スティールとすべてにおいて最高のプレーで観客を魅了する選手でした。中でもオラジュワンといえば”Dream Shake”「ドリームシェイク」。ボールをもらったら相手ディフェンスに背を向けた状態で左右に体を振って、回転しながらレイアップシュートを放ちます。ディフェンスが反応してジャンプした時には一瞬動きを止め、タイミングを外してシュート。しかもひとつひとつの動きが2m越えの大男とは思えないほど早いのです。本人曰く、子供時代にサッカーをやっていたことで培われたテクニックだとか。確かにZinedine Zidaneジネディーヌ・ジダン[14]元フランス代表サッカー選手のマルセイユ・ルーレットのようでもあります。何度見ても、オラジュワンがいとも簡単に相手選手を置き去りにする姿は痛快でした。背番号34はもちろん永久欠番になっています。

References
| ↑1 | 日本の同時通訳者の草分けといわれる |
|---|---|
| ↑2 | 菊池光(きくちみつ)訳 |
| ↑3 | アイルランド共和国軍 |
| ↑4 | 主演男優賞”Tender Mercies”1983年制作・日本未公開 |
| ↑5 | メジャー・リーグ・ベースボール |
| ↑6 | 最終的には7回のノーヒットノーランを達成 |
| ↑7 | ナショナル・リーグ |
| ↑8 | ショーン・ベリーやランス・バークマンも加える場合あり |
| ↑9 | 外野のビデオカメラでキャッチャーのサインを撮影してベンチへ送り、それをバッターへ音で伝える方法・2019年に発覚 |
| ↑10 | ナショナル・フットボール・リーグ |
| ↑11 | アメリカン・フットボール・リーグ・1970年にNFLと統合 |
| ↑12 | ナショナル・バスケットボール・アソシエイション |
| ↑13 | LAレイカーズで4回、マイアミ・ヒートで1回 |
| ↑14 | 元フランス代表サッカー選手 |